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2023年5月27日 (土)

其他可能也(そのたはよくすべきなり)

1504017  画像は秋田の友人からの
プレゼントです。

 さて、30年近くも昔の話。

Aさんが同僚を集めて、
次のようなことをおっしゃる。

「昨日、社長が、
わしに『辞めよ』と言うんよ」と。

この言葉の裏には、
次のような思い(忠告?)が隠されていた?

「30数年間も、社長と共に苦労を重ねて、
この会社の礎を築き、ここまで大きく、育て上げた
(最大の)功労者のわしに、突然、『辞めよ』とは、
社長は血も涙もない人間か!?

その内、君等も、近い将来、同じ目に遭うからな。
気を付けよよ。

そんな目に遭わんよう、いま、ここで、わしの言うことを
よぉー聞いて、防衛(保身?)策を考えとけよ。」
という思いに併せて、以下のような思いや忠告も?

「いま、ここで、わしが辞めたら、
この企業は成り立たん(倒産する)から、
皆も、今のうちに、早よ、辞めた方がええよ」
と、Aさんは言いたかったのであろうか…?

突然で、想定外の、オーナー社長の一言に、
Aさんはショックを受けたのか?

動揺を隠しきれず、腫れた眼で、
思うがままに、喋りつづけた。

 後日、この「辞めよ」の経緯を
周りの人々の口の端から聞けば、
概略、以下の通り。

「社長が、(わしの)女房のことを悪く言うんよ。
わしの事なら兎も角、女房の悪口を言われたわしは腹が立って、

わしも、(社長の)息子の悪口を言うたんヨ。
そしたら、突然、社長がわしに『辞めよ』と言うんで、

わしも『社長こそ辞めよ!』というて、
社長室を飛び出したその足で、家に帰って、
酒を飲んで寝たんやけど…。

どうにも、腹が立って、眠れんかったけん、
皆に、わしの胸の内を聞いてもらいたかったんよ」。

 ちなみに、周りの話から推察するに、
Aさんのご妻女は、(生命)保険の外交員をしておられた。

一方、Aさんは勤め先に新人が入る都度、
その情報をご妻女に漏らした。

その情報を基に、ご妻女はAさんが勤める企業に、
足繁く通った。

そんなご妻女の姿・行動を見て、快く思わない社員の一人、
Aさんの部下が、オーナー社長に直訴した。

これらの情報を基に、社長はご妻女の件を持ち出して、
Aさんを諌めた。

それに対して、Aさんは日頃から快く思っていなかった
(社長の)息子の言動について、心のたけをぶちまけた。

表面に現れことは、ただそれだけのことではあったが、
その根の深さやはびこりは、多面的であり、
オーナー社長には、次のような思いや思惑もあった?

・礼儀も尊敬の念も、Aにはちっとも感じらず、
無礼な言動が益々、増長する。この事態を何とかしなければ…。

・息子の代になる前に、わしの責任で、片を付けなければ…。

・わしが居なくなって(他界して)も、
「其他可能也そのたはよくすべきなり」、

すなわち、「その他のことは、誰でもできる」が、
Aの去就については、後顧の患いがないよう、
わしが元気なうちに、片付けとかなければ…。

・息子の代になって、「父の臣と父の政を変えた」、
すなわち「父の部下と父のやり方を変えた親不孝な息子」と、
周りの人々から言われないよう、(処置)しとかなければ…。

上記のオーナー社長の思いは、冒頭の経緯を経て、
現実のものとなり、Aさんは当該企業を去って行った。

 では、あなたにお伺いします。

「其他可能也そのたはよくすべきなり」、
すなわち、「その他のことは、誰でもできる」が、

あなたでなければ、決断を下せない案件には、
どんな経緯や事情がおありなのでしょう。

2023年5月20日 (土)

「其他可能也(そのたはよくすべきなり)」解説ページ

1308012  画像は秋田の友人からの
プレゼントです。

 さて、現役時代の話で、
30年程も昔のこと。

某社のAさんが、私に次のようなことを。

「C社は、創業者が息子さんに代を譲るので、
自分の息のかかった幹部や功労者(の首)を
次、次と切っているようです。」とおっしゃる。

この話を聞いた私の頭の中には、
以下のような言葉が蘇った。

「中小企業、それもとりわけ、オーナー企業は、
幹部や功労者が、次、次に辞めていき、終いには、
誰も居なくなるのは、どうしてなんしょうかねぇー。」

と、元同僚が、自らの体験談の一部を
私に語り終えた後、次のように続ける。

「うち(当社)も、専務が辞めて、次に常務が辞めてと、
創業以来の功労者、二人の幹部のが辞めていったのですが…。
終いには、誰も居らんようになるのでしょうか?」と尋ねる。

で、私は次のように。

「功成り、名遂げれば身退く」というやろ。

「古い人間が、いつまでも頑張っとったんでは、
会社の成長は期待できんからやない」と、
至極、当たり前のことを言えば、元同僚は次のように。

「そうですかねぇー。
寂しい限りですねぇー」と、
一抹の不安を抱えたかのように答えたが…。

彼の記憶、頭の中には
次のような論語の一章が存在していた?

 その一章(「子張しちょう第十九 第18章」)を、
論語(吉川幸次郎 中国古典選5 朝日文庫)から転載すれば、
以下のような言葉(記述)が。

 先ずは、読み下し文を。

曽子そうじわく、
れ諸れを夫子ふうしに聞く。
孟荘子もうそうしの孝こうや、其の他は能くすべき也なり
の父ちちの臣しんと父ちちの政まつりごとを改あらためざるは、
れ能くし難がたき也なり

 次に、現代訳を。   

曽子そうじが、以下のように述べた。
「私は以下のような言葉を先生(孔子)からお聞きした。
孟荘子の親孝行は、次の2つを除けば、誰でもできるが、
父の家来と父の行政上の仕組みを変えなかったことは、
誰もができることではないよ」と。

 続いて、吉川博士の解説を。

・やはり曽子が孔子から聞いた言葉。

・孟荘子とは、魯の家老仲孫速ちゅうそんそく
父の孟献子もうけんしの地位を世襲した。

「左伝」では襄公じょうこう十六年、十九年、
つまり孔子が襄公二十二年に生まれるより先に、
家老としての行動が記されている。

・孔子がその人物を批評して、
孟荘子の孝行は、その他の点は誰でもできる。

ただ父の代からの家来と、父の代からの家政のやり方とを、
変えなかった点は、誰でもが出来ることではない。

<以下割愛>

 吉川博士が、「孟荘子は、『左伝』では襄公じょうこう十六年、
十九年に、家老としての行動が記されている。」とおっしゃるので、
春秋左氏伝(中)(岩波文庫 小倉芳彦訳)を開いて見た。

すると、以下のような記載が。

・襄公じょうこう十六年 秋、
「孟孺子もうじゅし(孟荘子、仲孫速そく)が
斉軍に斬り込む」。

・襄公二十年 春、「孟荘子もうそうし(仲孫速)が
しょうで莒きょの人と会合し
盟を交わした」。

つまり、襄公じょうこう「十九年」ではなく、「二十年」が正解?
十九年は、誤植? それとも吉川博士の記憶違いかな? 
と、私は考えたが…。

 また、吉川博士は、
「政」を「家政のやり方」と訳しておられる。

じゃあ、
角川新字源』にはどのように?
と思い、検索してみた結果は以下の通り。

意味①ただす(正)。
㋐不正をただす。㋑おきてとする。おしえる。みちびく。治める。

②法制。禁令。
③まつりごと。行政上の職務。
④物事を整え治める方法。「家政」

 おぉー、
あった!

「家政」とは、「物事を整え治める方法」なのか!
また1つ、私は賢くなってしまったぁ~。

 次に、「其他可能也そのたはよくすべきなり」とは、
「その他の点は誰でもできる」と吉川博士は訳しておられる。

じゃあ、
角川新字源』にはどのようにと思い、
検索してみても、ヒットしないし、

論語新釈(宇野哲人講談社学術文庫)の[語釈]を見ても、
「其他可能也そのたはよくすべきなり」の語句は、見当たらない。

そこで、またまた、「生成AI」に頼って見れば、
私が意図した回答とは異なる。

前回(子張しちょう第十九 第17章)の現代訳は
バッチリの回答を得たのに…、今回は残念!

この時点で、一勝一敗、すなわち、確率5割の回答を得た私は
「生成AI」については、「妄信すべきではない!」という、
私なりの答えを得ることが出来た。

 ちなみに、この一章について、金谷博士と宇野博士は
それぞれ、以下のような記述を。

・孟荘子の孝行は、ほかのことはまだまねもできるが、
父親の臣下と父親の治めかたとを改めないうのは、
これはまねのしにくいことだ(論語』金谷 治訳注 岩波文庫)。

・孟荘子が親に孝であったことは、
その他の点は行うことが出来るが、

ただ彼が能く父の任用した臣を用い、
父の施設した政を守って
これを改めなかった点は
誠に行い難いのである(論語新釈』宇野哲人 講談社学術文庫)。

「生成AI」の回答を除けば、三氏(吉川・金谷・宇野博士)の回答は、
(略)同じ!

「やれ、やれ、ホッ」と一安心したところで、
冒頭の続きを。

 さて、冒頭の彼、元同僚は、先代から息子の代に変わっても、
かつて功労者や幹部は「尊重され、大切にされるべきだ」と
考えていたのであろうが…。

二代目の視点に立てば、彼等は親の代の(古い)やり方や
統治方法を時代に合ったものに変えていく必要があり、

その為にも、ガラパゴス化した先代からの幹部や功労者は
邪魔な存在にしか映らないし、見えない。

そこで、親子で相談してのことか?
それとも、親が我が子の為を思っての配慮なのか?

代替わりすれば、かつての幹部や功労者は去って行く、
否、あの手この手で、退職をせざるを得なくなる環境を創る。

で、孔子はいう。
「其他可能也そのたはよくすべきなり)」、
すなわち、その他は誰でもできるが、

「其不改父之臣與父之政一 
ちちのしんとちちのまつりごとをあらためざるは

是難能也これよくしがたきなり」、

すなわち、父の家臣と父の治め方を変えないことは、
誰でもが出来ることではない。

 ちなみに、故渋沢栄一翁は『論語と算盤』を説くが、
現代の経営者には「算盤」は必要であっても、
「論語」は無用の長物!?

否、孔子の説く通り、「誰でも出来ることではない」故に、
論語と算盤』は両立するものであり、
経営には欠かせない必須のモノ!?

 では、あなたにお伺いします。

「其他可能也そのたはよくすべきなり」、
すなわち、その他は誰でもできるが、

「自分でなければ出来ない!」と、
(あなたが)自負するのは、どんなことです?

2023年5月14日 (日)

自致者(みずからいたすもの)

17031809_20230514124501    画像は秋田の友人からの
プレゼントです。

 さて、一昔、
すなわち、10年以上も昔の話。

「イメージは、イシより強い」という言葉を
私は初めて耳にした。

この言葉に違和感を覚えた私は、
次のように尋ねた。

「イシのシは、思う? それとも、志?
そのどちらでしょうか」と。

すると、以下のような回答が。

「イシは、ココロザシの方です。

例えば、自分では、片足でしっかり立っていよう!
と心に決めても、思うように立っていることは出来ません。

でも、足の裏に根がしっかりと張っているイメージをすれば、
立っていることが出来ます。」とおっしゃる。

「えっ、本当に!?
片足で立つには、バランス感覚が必要であり、

『小脳が発達していない人はバランス感覚が悪い』という言葉を
私はどこかで耳にした記憶があるけど…。」と、訝っていれば、

「私は周りに壁があるのをイメージすれば、
ふらつくこともなく、しっかりと立っていられます。」
と、おっしゃる誰かの声が!

う~ん、
彼等(2人)は、ビジュアル系?

視覚系が発達している彼らにとっては、
「イメージするだけで、片足立ちできると」というが…。

平衡感覚に問題のある私にとっては、
受け入れ難い(無理な)話!

と、思った私は、それ以上の問いを遠慮して、
今の今まで、放置していたが…。

 いま、ここで、この疑問(問題・課題)を
生成AIに尋ねてみれば、以下のような回答が。

片足立ちをする場合、イメージだけではなく、
バランス感覚や筋力も必要です。

また、脚に根がはっているというイメージは、
安定感を高める効果がありますが、
動きを制限する可能性もあります。

片足立ちをするには、イメージだけではなく、
バランス感覚や筋力を鍛える練習も必要です。

また、脚に根がはっているというイメージは、
適度に使うことが大切です。

この答えを得た私は、
「やったぁ~。
私は間違ってはいなかった」!

イメージや言葉だけでは、
夢や目標に辿り着くことは出来ない。

イメージや言葉は、行動のキッカケや手助けの1つにはなるが、
実践や訓練・行動なくして、夢や目標は達成できない。

冒頭の彼らは、それを承知の上で、
或いは、誰かの受け売りで?

それとも、穿った見方(下衆の勘繰り)をすれば、
彼らは飯のタネ(金儲けの手段)の1つとして、

臆面もなく、「イメージは意志より強い!」という言葉を
利用していたのであろうか…?

 孔子はいう。
「人未自致者ひといまだみずからいたすものあらざるなり」と。

この孔子の言葉を、現代訳に変換するよう、
今、話題の生成AIに、問いかけてみれば、

「人間は自分から精一杯やろうと思っても、
なかなかできないものだ。」という回答が。

この生成AIの回答を
私流に敷衍して述べれば、以下のようになる?

冒頭の「片足立ち」を小脳の発達していない者(私・筆者)が、
「何の努力や訓練もなく、イメージだけで、自ら精一杯やろう!
立っていよう。」と思っても、それは至難のワザであり、
なかなかできないもの」である。

「片足立ちをするには、イメージだけではなく、
平衡感覚を養い、トレーニングをして筋力を鍛える」必要がある。

つまり、「イメージは意志より強い」という言葉を
現代話題の生成AIに尋ねた結果と、

2500年ものその昔に、孔子が述べた言葉とは、
奇しくも(不思議な程に)、一致する!
と私は思った次第。

 では、あなたにお伺いします。

あなたは、何の努力も、(周りの)協力・援助も無く、
また、教育・訓練をも受けることも無く、
イメージのみで、夢を実現した記憶がお有りです?

2023年5月 7日 (日)

「自致者(みずからいたすもの)」解説ページ

1311091_20230507133901  画像は秋田の友人からの
プレゼントです。

 さて、何気無く目にしたTVで、
次のような言葉と映像が流れていた。

「人は一所懸命祈れば、全てのことが叶う。
叶わないのは、祈りが足りないからだ」と、
チベットの僧が述べていた。

この一コマを見た私の頭の中を、
以下のような記憶が過った。

この類の言葉は、自己啓発本でもよく見聞きしたし、
また現役時代には、次のような故事・諺に遭遇したが…。

「為せば成る、為さねば成らぬ何事も、
成らぬは人の為さぬなりけり」。

 ところが(後日)、「論語」を見ると、
以下のような(異なる)言葉を
孔子から聞いたと、曽子が述べているではないか。

その気になる一章(子張しちょう第十九 第17章)を、
論語(吉川幸次郎 中国古典選5 朝日文庫)から抽出して
転載し、思案してみることに。

 先ずは、読み下し文を。

曽子そうじわく、
れ諸れを夫子ふうしに聞く。
ひとまだ自ずから致いたす者ものらざる也なり
かならずや親おやの喪

 次に、現代訳を。   

曽子そうじが、以下のように述べた。
「私は、次のような言葉を先生(孔子)からお聞きした。
『自力だけで、物事をきわめ尽くす者はいない。
例外があるとすれば、それは親が死んだ時であろう』と、
おっしゃるお言葉を」と。

 続いて、吉川博士の解説を。

曽子が、夫子すなわち孔子から、聞いた言葉としていう。
人間の行為のうち、自力だけで究極まで行けるものはない。

必ず学問なり教養の助けを借りて、はじめて究極まで行ける。
「致」はやはり究極の意。

しかしこの原則にはずれるものがある。
ほかでもない、親の喪における態度である。

自己の内心から湧き起こる悲哀、
それのみによって究極の完全な態度に到達できる。

<以下 割愛>

 う~ん、
浅学菲才の身には、この吉川博士の解説(現代訳)のみで、
全てを理解するには、ちと、難解(困難)。

そこで、『角川新字源』には、どのように?
と思い、検索してみるも、「自致者」という語句が見当たらない。

じゃあ、
手元の文庫本には、どのような記述が!?

と、思い、『論語(金谷 治訳注 岩波文庫)を見れば、
以下のような現代訳が。

人が自分(の真情)を出しつくすというのは
なかなかないことだ。
あるとすれば親の喪だろう。

う~ん、
この金谷博士の現代訳と、吉川博士の解説(現代訳)とでは、
少し、意味合いが異なる? と私は感じた。

で、『論語新釈(宇野哲人 講談社学術文庫)を開いて見れば、
以下のような記述が。

通釈] 常人じょうじんは真心が感発かんぱつして
その極量きょくりょうを尽くすことはない。

もしあるとすれば必ず親の喪もの時であろう。

他事たじは人から励まされるがただ親の喪は
人の真情しんじょうから出て
人の勧めを待たないのである。

んっ、
この現代訳をみれば、「親の喪」の時の話かな?
と、私は思い、同書の[解説]を見れば、次のような文言が。 

この章は葬礼そうれいは本心の誠に出ることを
明らかにしたのである。

 う~ん、
吉川博士の解説(現代訳)を見たとき、
私は、次のように考えた。

人間は人の助けを得ずに、極限まで行き尽くすことは出来ない。
必ず、周りの助けを必要とする、という教えかな? 
と思っていたが…。

金谷博士と宇野博士の解説を見た私は、
真情を出し尽くすのは、「親の喪の時」である
という現代訳(通釈・解釈)を得て、私の悩みは雲散霧消。

 ちなみに、今、話題の生成AIに訊いてみた結果は
以下の通り。

「人は自分で全力を尽くそうとしても、できるものではない。
ただし親が亡くなった時なら、全力で泣くことが
出来るだろうよ」。

この言葉の現代訳は、次のようになるかもしれません。

「人間は自分から精一杯やろうと思っても、
なかなかできないものだ。

でも親が死んだら、心から悲しんで泣くことができるだろうね」

 おぉー、
答一発 !!!

しかも、完璧!?

瞬時に、この答えを得た私は、
正解を求めて、右往左往、否、右顧左眄していた
自らが、恥ずかしい。情けない! と思ったが…。

娘が言う。

「そうやって、ああでもない、こうでもないと、
考えることが、脳(ボケ防止)には、ええんよ」と。

 また横道にそれとところで、本題に。

夢が実現できないのは、「祈りが足りないから」でも、
「人の為さぬ」が故でもない。

ただ、周りの協力が得られないからであり
人間が真情(偽りのない、本当の気持ち)を出し尽くすのは、
親の喪の時だけであるが故に、夢は叶わない。

裏を返せば、それは人間が怠惰な生き物であるが故に、
「祈りが足りない」のであり、「為さぬ」が故に、
夢は実現できない。

な~んか、
禅問答のようではあるが、この「論語」の一章を見て、
私が得た答えは、「必死に祈り」、一所懸命、「為せば成る」!

「成らぬは人の成さぬ也」、
つまり、真情を出し尽くして、一所懸命祈り、命がけで、
必死にやれば、周りの協力も得られ、夢は叶う。

夢が叶わないのは、真情、すなわち嘘・偽りのない、本当の気持ち
に問題があるし、必死さが足りないだけのことだと考えれば、
冒頭の僧侶が述べた言葉も、故事・諺にも私は納得がいったが…。

 では、あなたにお伺いします。

あなたが、「自致者みずからいたすもの」、
すなわち「自力だけで究極まで行ける」と考えている
夢・目標には、どんなものがあります?

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