画像は秋田の友人からの
プレゼントです。
さて、AさんとBさんの話。
哀かなしくも遣やる瀬せ無い思いのたけを
長々と述べ立てるAさんに対して、
Bさんは次のようなことを。
「Aさん、もう、ええかな?
みんな忙しいんやから、
これで失礼してもええかな?」
と言って、席を立った。
唯一無二の親友と思い込んでいたAさんにしてみれば、
このBさんの言葉に、茫然自失。返す言葉もなかったが…。
一方、Bさんにしてみれば、
長い間、権力の座に坐りつづけて、
いい思いをしてきたであろうAさんの哀あわれな姿や訴えを
「これ以上は聞きたくないし、喋り続けさせたくもない!」
という思いや心配りがあったのかも知れない。
それが証拠に!
という話の続きは、後段にて。
先ずは、『論語下』(吉川幸次郎 中国古典選5 朝日文庫)の中から
抽出した「子張しちょう第十九 第19章」)をご覧に。
最初に、読み下し文を。
孟氏もうし、
陽膚ようふをして士師ししたらしむ。
曽子そうじに問とう。
曽子そうじ曰いわく、
上かみ其その道みちを失うしない、
民たみ散さんずること久ひさし。
如もし、其その情じょうを得うれば、
則すなわち哀矜あいきょうして喜よろこぶこと勿なかれ。
次に、現代訳を。
(魯の家老)孟孫氏もうそんしが、
(曾子そうじの弟子の)陽膚ようふを裁判官に任命した。
(陽膚ようふは)曾子そうじに(士師ししの要諦を)尋ねた。
曾子そうじは以下のように答えた。
「上(為政者)は正しい道を失い、
人民はほしいままにして久しい。
もし、(取り調べ中に)罪人の実情を知り得たならば、
不憫ふびんに思い、(「一件落着」等と)喜ばないことだよ」。
続いて、吉川博士の解説を。
・「孟氏」とは、家老孟孫氏の当主であるにちがいなく、
劉宝楠の「正義」は、鄭玄注の断片により、
為政第二(第5章)で、孔子に孝を問うた孟懿子もういしとする。
・古注の包咸に、陽膚は曽子の弟子。
士師は「典獄の官」、つまり司法の長官。
・孟氏の意思で司法長官の地位についた陽膚は、
この役目についての心得を、先生の曽子にたずねた。
曽子はいった。為政者たちが政治の道徳を見失ったため、
人民の心理も中心を失ってしまってから、ずいぶんになる。
・「散」の字は、そうした意味であろう。
つまり人民たちが、なかなか本音を吐かず、
取り調べに困難を感ずるのは、
為政者が其の道を失ったことに、原因がある。
あるいは、犯罪そのものの発生も、
為政者の責任でないといえない。
・「如もし其の情を得れば」、「情」は「実」と訓ずる。
もし取り調べの結果、真実がわかったならば、
まずかわいそうだと思って、同情しなければならない。
うまく事実がつかめたといって、
ゆめ得意になってはならぬ。
・司法に関する最古の古典は、「尚書しょうしょ」、
すなわち「書経」の「呂刑りょけい」篇であるが、
それにも「庶もろもろの戮つみあるものの不幸を哀矜せよ」、
或いは「哀敬して獄を折さばけ」と、
裁判は、被告に対する愛情を第一とすべきことを説く。
・劉宝楠いう、「哀矜とは、その刑に致おちいるを哀しみ、
その無知、あるいは已やむを得ざる所有るを、哀あわれむ也」。
<以下割愛>
おっ、
吉川博士は以下のようにおっしゃる。
・士師は「典獄の官」、つまり司法の長官。
・「散」の字は、心理の中心を失う
・「情」は「実」と訓ずる。情=真実(事実?)
・「哀矜とは、その刑に致おちいるを哀かなしみ、
その無知、あるいは已やむを得ざる所有るを、哀あわれむ也」
じゃあ、
『角川新字源』にはどのように?
と思い、検索してみた結果は以下の通り。
・【士師】しし 官名。古代の裁判官。司法官。
・【散】サン/ちる・ちらす・ちらかす・ちらかる 意味⑩ほしいまま。
しまりがない。
・【情】ジョウ/なさけ 意味③ありのままの事実。「事情」
・【哀矜】あいきょう 哀れむ。ふびんに思う。
〔論・子張〕「如得ニ其情一則哀矜而勿レ喜」 同義語:哀憫
あれっ、
この字書には、「司法官」と記載されてはいても、
「司法長官」とは記されていない。
そこで、『論語新釈』(宇野哲人 講談社学術文庫)を見れば、
その[通釈]には、「士師しし(司法官の長)」と記されている。
また、『論語』(金谷 治訳注 岩波文庫)を開いて見れば、
その現代語訳には、「士師しし(罪人を扱う官)」と、
記載されていた。
つまり、「司法長官」とするか、「司法官」とするかの解釈は、
半々であったが…。
また、「散」の意味について、
『論語新釈』(宇野哲人講談社学術文庫)の[語釈]を見れば、
次のような記載が。
〇散さんず=上下の情義が離れて相あい繋つながれないこと。
民意が離散したのである。
ちなみに、『論語』(金谷 治訳注 岩波文庫)を覗いて見れば、
「散ずる」=「ゆるんでいる」という現代訳が。
蛇足ついでに、「散」の字の解釈について、
「人民の心理も中心を失って」とおっしゃる吉川博士の「中心」とは、
「忠信」の誤植かな? と、私は思って(疑って)みたが、
どこ(手元のどの書籍)にも、それらしき記載は見当たらなかった。
次に、「情」の現代訳(解釈)については、
以下の通り。
・罪を犯した実情(『論語新釈』宇野哲人 講談社学術文庫)
・犯罪の実情(『論語』 金谷 治訳注 岩波文庫)
最後の「哀矜」については
「哀れむ」にて、(全員)一致。
めでたし、めでたし。やれ、やれ、ホッ!
と、肩の荷が下りたところで、冒頭の続きを。
冒頭のBさんは、裁判官でもなく、
また、Aさんは被告でも、罪人でもなかった。
ましてや、同席していた数人の同僚は、陪審員でもなかったが、
一方的に恨みつらみを述べ立てるAさんを哀れに思ったBさんは、
「もう、いい加減にした方がええよ」という思いで、
「もう、ええかな。みんな、忙しいんやから、」と言って、
席を立った。
ところが、それから1年も経つか、経たぬ間に、
Bさんが、「わし、辞めるけん」と言い残して、
当該企業を去って行った。
その後、Bさんは再就職に散々、駆けずり回った挙句の果てに、
先に、離職して起業したAさんを訪ねて行った。
そして藁をもすがる思いで、
「雇うてや」と頼み込んだ。
この時、Aさんは、「よう、雇わん。うちにはその余裕がない。」
と言って、Bさんの必死のお願い(申し出・頼み込み)を
一蹴した。
かつて、数人の同僚を前にして、
オーナー社長と当該企業に対する恨みつらみを
一方的に述べ立てるAさんを「哀矜あいきょう」、
すなわち、「哀あわれ・不憫ふびんに思い」
「聞くに堪えない恨みつらみや経緯も、それ位にしたら」
という思いやりで、「もう、ええかな?」と言って、
一人、席を立ったBさんに対する意趣返し?
Aさんは、人としての情けや、「哀矜あいきょう」、
すなわち、Bさんを「哀あわれむ・不憫ふびんに思う」、
そんな気持ちや心を持ち合わせいなかったのであろうか…。
では、あなたにお伺いします。
あなたの身の回りに起こった出来事で、「哀矜あいきょう」、
すなわち「哀かなしみ、哀あわれに思った」のは、
いつ、誰の、どんな出来事でした?
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