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2023年7月30日 (日)

「多見其不知量也(まさにそのりょうをしらざるをみるなり)」解説ページ

Dsc01936  画像は秋田の友人からの
プレゼントです。

 さて、子供の頃といえば、
今を去ること70年程も昔の話。

ある日のこと、いつもはいじめられている児童が、
「馬鹿、バカ、言うもんが、馬鹿よ!」と言って
同級生の児童に噛みついた。

この反応(反転攻勢)に、驚愕したのか?
茫然として、その場に立ち尽くしたのは、
いじめっ子の同級生。

それ以来、彼等の力関係が反転した。
そんな古い記憶が、私の頭の片隅に残っているが…。

この同級生の一言は、母親の教え(入れ知恵)であったのか、
否か? それは、私の知る所ではないが…。

これって、以下の「論語」の一章が
伏線にあった?

 先ず、その章(『論語(吉川幸次郎 中国古典選5 朝日文庫)
中から抽出した「子張しちょう第十九 第24章」)をご覧に。

 最初に、読み下し文を。

叔孫武叔しゅくそんぶしゅく仲尼ちゅうじを毀そしる。
子貢しこうわく、
って為す無き也なり
仲尼ちゅうじは毀そしるべからざる也なり
他人たにんの賢者けんじゃは、丘陵きゅうりょうなり
お踰ゆる可き也なり
仲尼ちゅうじは日月じつげつなり
て踰ゆる無し。
ひとずから絶たんと欲ほっすと雖いえども、
れ何なにをか日月じつげつに傷そこなわん乎
まさに其の量りょうを知らざるを見る也なり

 次に、現代訳を。   

叔孫武叔しゅくそんぶしゅくが孔子(仲尼ちゅうじ)を非難した。
(これを聞いた弟子の)子貢しこうが、以下のように述べた、
「(先生の悪口を言うのは、)およしなさい。
先生(孔子・仲尼ちゅうじ)の悪口をいうことはできません。
他の優れている人は、小高い丘です。
人間の足で踏み越えることが出来ます。
先生(孔子・仲尼ちゅうじ)は日月じつげつです。
人間の足で踏み越えることはできません。
人間が(日月=孔子と)交わりを断とうとしても、
日月じつげつを傷つけることができましょうか。
ただ、自己の器量をあらわにするだけです」と。

 続いて、吉川博士の解説を。

・この章は前の章の異伝であろう。
毀は「そしる」と訓じ、非難、悪口、の意である。

・まえの章では、子貢を比較の媒介として、
まだしも婉曲に
孔子のわるくちをいった叔孫武叔が、
この章では、
もっとぶっつけに、わるくちをいったことになる。

・それを聞きつけた子貢がいった。
それは無意味である、「以って為す無き也」。

仲尼さまにに対するわるくちは、不可能である、
「仲尼は毀そしる可からざる也」。
なんとなれば、他の人の場合は、
偉大であるといっても、
それは小岡大岡のごときものである。

・新注に、「土の高きを丘と曰い、大いなる阜おかを陵と曰う」と
いうのは、
「周礼しゅうらい」「大司徒だいしと」の鄭注にもとづく。

小さなまた大きな岡、それらは高いところではあるけれども、
なおやはり人間の足で踏みこえることが出来る。

しかるに仲尼は、日月である。隔絶した高さにある。

・日本の本には「如日月也」とするものもあるが、
「如」の字で比喩しない普通の本の方が、文勢は強い。

日月は、人間の足で踏みこえることのできない高さにあるが、
仲尼はそのごとくである。

・皇侃の「義疏」に、丘陵は、その上にのぼれるから、
感覚的に高さを感じうるが、日月は、そこにのぼり得ないから、
その「高きを覚えず」というのは、言外の意味を演繹したもの
として、面白い。

のみならず、日月は隔絶した高さにある故に、
隔絶した普遍さをもつ。

人すべてだれもが、その影響のもとにある。人間の方から
縁を切ろうと思っても、日月としては、何の損害もない。
「其れ何をか日月に傷そこなわんや」。

にもかかわらず、
こっちから縁を切ろうとする人間は、
自分の力量を知らないという
愚かさ、
ほかでもなくそれを表現するだけである。

ここの多の字は、「ほかでもなく」の意であり、
適、祇と同じである
とされる。
「まさに」という和訓も、その意味からである。

・なお「多まさに其の量を知らざるを見る也」の「量」は、
新注が「自ずから其の分量を知らざるを謂う也」というように、
自己の容量、人格の程度、をいう。

皇侃の「義疏」が、「聖人の度量を知らざる也」とし、
孔子の量とするのは、いけない。

 う~ん、
この一章に関する吉川博士の解説は、長いし、細かくて、
浅学菲才の身には少々、難解。

そこで、先ず、吉川博士がおっしゃる、
以下の3つの語釈(現代訳)と、この章に関する語句を、
角川新字源』にて検索してみることに。

・毀は「そしる」と訓じ、非難、悪口、の意である。
・「以って為す無き也」は、不可能である、
・ここの多の字は、「ほかでもなく」の意であり、
適、祇と同じである

そしる
【毀】キ 「誉」の対。人のことをうちこわし悪く言う。
〔論・子張〕「叔孫武叔毀仲尼

【丘陵】きゅうりょう おか。小高い所。

【日月】じつげつ/にちげつ ③聖人・賢人のたとえに
用いることば。
〔論・子張〕「仲尼、日月也。無得而踰焉」

【多】意味⑦まさに。ただ。→祇
〔〔論・子張〕「多見其不一レ量也」

 う~ん、
「日月」の意味には、この章の一節が記されているが、
「丘陵」には、その記載がない。

また、この字書(『角川新字源』)には、
「無以為もってなすなきなり」という語句の記載が見当たらない。

そこで、『論語新釈(宇野哲人 講談社学術文庫)の[語釈]を
覗いて見た。 その結果は以下の通り。

〇 「以もって為すなし」=毀そしることをするな。

ちなみに、同書の[語釈]には、以下のような記載も。

〇 丘陵きゅうりょう=高さに限りがあるのに
たとえたのである。

〇 日月じつげつ=最高に喩えたのである。
〇 自づから絶つ=毀そしって自ら孔子と絶つこと。
〇 多まさに=適まさ
〇 量りょうを知らず=自ら己の分量を知らぬこと。
「其その量を知らず」は己の愚をあらわすのである。

 う~ん、
「以もって為すなし」=「不可能」?
それとも、「毀そしることをするな」?

ちなみに、「そんなことはおやめなさい」というのが、
論語(金谷 治訳注 岩波文庫)の現代訳であり、
宇野博士の解釈(現代訳)と、ほぼ一致。

また、吉川博士が、多の字は、「ほかでもなく」の意である、
とおっしゃるが、その記載(表示)は、どこにも見当たらない。

でも、「多=適・祇」については、確認できた。

やれ、やれ。
これを「骨折り損のくたびれ儲け」という?
それとも、「また、1つ賢くなった!」と、自己満足するのか…?

 それはさておき、幼い頃に見聞きした冒頭の記憶と、
「論語」のこの一章に触れてみて、いま、ここで、私が気付いた
のは、以下のような事柄。

いじめっ子に対しては、「ガツン! と言うちゃれ」というのが
Aさんの主義・主張。

一方、「言いたい奴には言わせておけばいい」。
これが私の主義。

この言葉の裏を返せば、
Aさんが勇気ある人で、
私はヘタレ?

さらに言えば、
Aさんが子貢しこうタイプであり、
私が孔子(日月じつげつ)タイプ?

といえば、買いかぶりもいいところ!

などと、言葉遊びをする中にも、
「多見其不知量也まさにそのりょうをしらざるをみるなり」!

すなわち、ただ、己の器量を知らないことを見あらわすのみ。
つまり、身の程知らずを表現するのみ。

 また、「多」という語句をみた私の頭の片隅には、
「多多益辦たたますますべんず」という四字熟語が。

 最後に、『論語新釈(宇野哲人 講談社学術文庫)
解説]を見た私は、以下のような箴言しんげんも得て、
生きる糧(心の糧)に。

孔子のような聖徳せいとくがあっても
人の毀そしりを免まぬがれないのであるから、
その他の者が毀そしられるのは当然である。

道に志す者は毀誉きよをもって
心を動かしてはならないのである。

 では、あなたにお伺いします。

「多見其不知量也まさにそのりょうをしらざるをみるなり」、
すなわち「自らの器量や力量を知らず」、パワハラを繰り返す
身の程知らずの上司に、あなたはどんな言葉をお返しします?

2023年7月22日 (土)

宮牆(きゅうしょう)

Dsc05591  画像は秋田の友人からの
プレゼントです。

 さて、2W近くも前のこと。

某、ゴルフ場のレストランにて、
(昼食後の)休憩時に、グループ内のSさんが、
私に次のようなことを。

「Nさん(筆者名)、横のグラウンドゴルフ場、
うるそう(やかましく)ないか?」と、尋ねる。

私は以下のように答える。

「はい、大会がある日は、スピーカーの声がうるさいのですが、
それ以外はあまり気にするほどでは、ありません。

それよりも、子供のはしゃぎまわる声の方が、
うるさいですし、

また、ボール遊びをしているときは、
窓ガラスを割られるんじゃないか?
と冷や冷やしています。

現に、2度もガラスを割られて、
後始末に手間が掛かりましてねぇー」と。

すると、話し相手のSさんが、次のようなことを。

「Nさん(筆者名)とこ(所)のフェンス、
何年か前に壊されたことなかったか?」と尋ねる。

で、私は以下のようにお返しする。

「はい、
十数年も前に、私が田舎に帰って留守をしていた日、
家に着いて、車を車庫に入れろうとしたら、
門扉が壊れているのに気づきました。

出掛ける際に、無断で車庫に車を停められているのが嫌で、
駐車場の門扉を閉めて出掛けたのですが…。

帰って見たら、門扉が半開きになっているので、可笑しいなぁー、
と思って見たら、門扉がへし曲がっていたり、
一部は、へし折れていました。

その内、いつか、どなたかが、謝りに来るかと思って、
4、5日、待っていましたけど、

誰も、何も、言うて来んので、
警察を呼んで、見て(検証して)もらいました。

その結果、「車を方向転換する際に、バックで当てて、
そのまま逃げたんやなぁ。火災保険に入っとるか?」と、

警察官が言うんで、「入ってません」と、私は答えたのですが、
警察官は、それ以上、何も言わずに帰っていきましたが…。

実は、火災保険に入っていましたし、
ぐ、直なお(修繕)してもよかったのですが、

通行する車や犯人が、この現状を見る度に、心を痛めるやろうな? 
と、(私が)勝手に思い、放置して、今に至っています」と。

私の話を聞き終えたSさんが、次のようなことを。

「ほうなん。
実は、わし、その現場を見たんよ。

わしが、自転車で走りよったら、Nさん(筆者)の家のフェンスを
トラックが引っ掛けて、引きずった後、前の鉄工所に入って行くのを、
わし、見たんよ。

でも、その時、わしは、Nさん(筆者)の家やとは、知らんかったし、
どんな人が住んどるかも知らんかったけんなぁ…。」とおっしゃる。

この話(事実)を聞いた私は、以下のように。

「そうでしたか。
犯人は、やっぱり、前の鉄工所の関係者でしたか!

でも、それが、あそこ(鉄工所)の従業員なのか?
それとも、出入りの業者なのか、誰なのか、分かりませんし…。

Sさん、そのトラックの車番、覚えていらっしゃいます?」
と尋ねた。

すると、Sさんは次のように。

「わしも、車番までは見てないし、顔も見てないんやけど、
クリーム色系

と尋ねれば、Sさんは、即座に、「ええよ。」とおっしゃる。

でも、十数年も前の、昔の話であり、
時効かな?

それに、当該鉄工所のオーナー社長に、直談判に行ったところで、
「そんな昔の話は…」と言って、はぐらかされるであろうし…。

また、届け出た警察署に行っても、
「時効です」の一言で、済まされる話であろうし、
結局、「逃げ得」、「当てられ損」がいいところ。

それでも、私は諦めの悪い男にて、
「はて、さて、どうしたものか?」
と、只今、思案六法中。

 では、あなたにお伺いします。

お宅の「宮牆きゅうしょう」、すなわち「家屋と周りの垣根」が、
あなたの知らぬ間に、「当て逃げされていた」という、
ご記憶、おありでは?

2023年7月15日 (土)

「宮牆(きゅうしょう)」解説ページ

1212262  画像は秋田の友人からの
プレゼントです。

 さて、今を去る40年程前の話。

某不動産業者が入るビルの前を通りかかった
愚妻の目に飛び込んできたのが、
売りに出ていた住宅のカラー写真。

そのコピーをもらって帰宅した愚妻が、
私に、その物件の購入話を持ち掛けてきた。

で、私はその翌日、当時勤めていた企業の
オーナー社長に、その話をした。

私の話を聞いたオーナー社長は、
次のようにおっしゃる。

「そりゃあ(その物件は)、買い得や。
あれ、これ、考えず、今、すぐに手を打て!」と。

私にとっては、購入価格が、最大の決め手ではあったが、
家の構えが気に入り、購入を決断したのが、今の住まい。

 そして住んでみれば!
という話の続きは、後段にて。

 先ずは、『論語(吉川幸次郎 中国古典選5 朝日文庫)の中から
抽出した「子張しちょう第十九の第23章」をご覧に。

 最初に、読み下し文を。

叔孫武叔しゅくそんぶしゅく
大夫たいふに朝ちょうに語かたりて曰わく、

子貢しこうは仲尼ちゅうじよりも賢まされり。
子服景伯しふくけいはく、以って子貢しこうに告ぐ。
子貢しこうわく、
れを宮牆きゅうしょうに譬たとうれば、
の牆かきや肩かたに及およぶ。
室家しっかの好きを窺うかがい見る。
夫子ふうしの牆かきは数仭すうじん
の門もんを得て入らざれば、
宗廟そうびょうの美、百官ひゃっかんの富とみを見ず。
の門もんを得る者もの、或あるいは寡すくなし。
夫子ふうしの云うこと、亦た宜むべならず乎

 次に、現代訳を。   

(魯の重臣の一人)叔孫武叔しゅくそんぶしゅくが、
朝廷にて(他の)重臣に次のように言った。
「(弟子の)子貢しこうは、仲尼ちゅうじ(孔子)よりも優れている」と。
(大夫の)子服景伯しふくけいはくが、この発言を子貢しこうに告げた。
(これを聞いた)子貢しこうは以下のように述べた。
これを家屋と周りの垣根に例えればの話ですが、
(私、子貢)の垣根は肩に届くような高さです。
住まいの好よさを覗き見ることが出来ます。
(一方)先生(孔子)の垣根は数メートル。
その門を見つけて(中に)入らなければ、
祖先のみたまやの美しさや、多くの役人を見ることが出来ません。
またその門さえも見つける者が少ないのですから。
大夫(叔孫武叔しゅくそんぶしゅく)がそのような誤解をなさるのも、
もっともなことでしょう」と。

 続いて、吉川博士の解説を。

・叔孫武叔は、魯の大夫の叔孫州仇しゅくそんしゅうきゅうであり、
「左伝」では、
定公十年に、自己の相続に異義を唱えた家臣
公若こうじゃくの立てこもる都市、
こうを包囲したという事件で、
その名がはじめて見える。

・この年はすなわちまた、五十二歳の孔子が、
同じく魯の重臣の一人として、
魯公の介添となり、
夾谷きょうこくの会見で斉侯をやりこめたことを、

「左伝」が記す年であった。

・しからば、武叔は、孔子よりやや年の若い同僚であった。
「左伝」では七年のちの哀公二年、つづいて三年にも、
この人物が見え、
そのとき孔子は、既に魯を去っている。

つぎの章とあわせ考え、孔子に好意をもたぬ男であった。

・その男が、「朝」、すなわち政府の事務室で、
他の重臣たちにいった。

人人は孔子をほめるけれども、
弟子の子貢の方が、先生の孔子よりもえらいよ。

その席にいた子服景伯、これは前の憲問第十四に、
子路の擁護に立った人物
として見え、孔子とその弟子たちに、
好意をもつ人物であるが、
それがそのことを、子貢に話した。

子貢はいった。事柄を、構えの塀にたとえましょう。
「宮」とはひろく、構え、屋敷の意であって、
必ずしも宮殿ではない。

・賜、すなわち子貢の実名であるが、私、賜の塀は、
せいぜい人間の肩までの低い塀です。

そのため、中の建物のよさを、のぞき見ることができます。
「室家」は、エティモロジーをいえばいい得るが、
要するに内部の建物の意。

・一方、先生の塀は、何仭もの高さです。
古注の包咸に、「一仭は七尺」。

その入り口を見つけて中へはいらない限り、
かまえの中にある祖先の霊を祀る
宗廟の美しさ、またいろんな役人が事務をとる建物の豊富さ、

それらを目にすることはできません。
ところで、入り口を見つけうる人間は、少ないかも知れない。

・「夫子」、「閣下」とは、すなわち叔孫武叔であるが、
彼の言葉は、
そうした関係から起こった誤解です。
それももっともなことでしょうて。

・不亦……乎、といういいかたについては、
ここは最もかるい使いかたである。

・文中に見える二つの「夫子」、前者は孔子、
後者は叔孫武叔を指すこと、いうまでもない。

 おっ、
吉川博士が『左伝』では、「定公十年には」云々、
とおっしゃるので、『春秋左氏伝(下)(小倉芳彦訳 岩波文庫)
開いてみた。

その結果は、すべて、吉川博士のおっしゃる通りにて、
先ずは、一安心。

 次に、吉川博士が、「宮とはひろく、構え、屋敷の意であって」
とおっしゃるので、『角川新字源』には、どのような記載が? 

と思い、「宮」を始め、この一章に関する語句を検索してみた
結果は以下の通り。

・【グウ・キュウ/みや 意味①みや 
㋐大きな建物。㋑いえ(へい)住居

・【ショウ 意味①かき(垣)かきね。③へい(塀)。かこい。

・【宮牆】【宮墻】きゅうしょう 家屋とまわりのかきね。〔論・子張〕

・【室家】しっか ①いえ。すまい。②夫婦。家族。家庭。

・【窺見】きけん のぞき見する。こっそり見る。

・【ジン 周代の制で七尺(一説に八尺、
一尺は約二ニ・五センチメートル)「九仞」

・【百官】ひゃっかん=【百司ひゃくし・百僚ひゃくりょう】多くの役人。
同義語:百揆ひゃっき・百姓。

・【宗廟】そうびょう 祖先のみたまや。②国家。
同義語:社稷しゃしょく

 続いて、「室家は、エティモロジーをいえばいい得るが、
要するに内部の建物の意。」だと、吉川博士がおっしゃるので、

手元の「英和辞典」にて「エティモロジー」を検索してみれば、
次のような意味が。

etymology①語源学 ②(ある語の)語源(の説明)

 う~ん、
「室家」とは、「宮牆きゅうしょう」の語源の説明なのか、
それとも、「建物」、「いえ。すまい」の語源の説明なのか?

あるいは、「室家」という語句自体が、
「建物」、「いえ。すまい」の、一番初めの形なのか…?

残念ながら、浅学菲才の身には、理解しがたく、
グリコ(お手上げ)。

「???」、すなわち疑問を抱え込んだまま、
冒頭の続きを。

 さて、私が30代後半に、借金をして、
借家から持ち家に移り住んだものの、

当時、3歳だった娘は、
この環境を受け入れることが出来なかったのか?
「帰る。帰る」と言い出す始末。

で、私が「どこに帰るん?」と尋ねれば、
幼い娘は「おうちに帰る」と言う。

私が、「今日から、ここが新しいおうちなんよ」といえば、
それでも幼い娘は「嫌っ! おうちに帰る」という。

幼い娘にとっては、微かに、潮風の匂いを感じる
海辺の田舎町よりも、

多くの建物が整然と並び、周りには友達が豊富にいた
山の上の団地の方が、お気に入りだったのかも知れないが…。

幼い娘は、引っ越してきたその日に、環境の悪さを
肌(身体全体)で、感じていたのかも知れない。

 でも、私が今の住宅を購入する際に、気になっていたのは、
近くにLPガスの配送基地があることであったが、

私がその懸念を伝えた時、勤め先のオーナー社長は
「そんなもん、気にせんでもええ」と一言。

 ところが、実際に住んでみて、すぐ(斜め)前に、
鉄工所があった。

私は、この事実を購入前には気づかず、
購入後に問題が。

で、愚妻は、宮牆きゅうしょう、すなわち家屋の垣根の代わりに、
樹木を植えて、粉塵から室内を守る策を
独自に考えたのであろうが、

花の命は短く、そして樹木の葉や実も、仲良く?
前の道路に散乱して、掃除におおわらわ。

 んんっ、
愚妻は前の道路を疾走する車が巻き上げる砂埃の侵入よりも、
家の中を窺うかがい見られることを嫌がり、

ブロック塀の内側に樹木を植えて宮牆きゅうしょう
すなわち家屋の塀へい代わりにした?

 では、あなたにお伺いします。

お宅のの「宮牆きゅうしょう」、すなわち「家屋と周りの塀」は
どんな思いで、配置や配慮がなされています?

2023年7月 8日 (土)

常師(じょうし)

Dsc04926_20230708104901  画像は秋田の友人からの
プレゼントです。

 さて、今週のこと。

某ゴルフ場主催のコンペに参加したものの、
あまりの暑さに閉口。

それに加えて、低料金で好評なのか? 
高齢の参加者が大勢で、
昼からは各ホールでの待ち時間が長い。

そこで、私は、「熱中症予防に」と思い、
自宅から保冷バックに詰め込んで来た飴と
冷やしたゼリーを同伴者の先輩2人に、手渡しした。

すると、その先輩の1人の方から、
次のようなお言葉が返って来た。

「いつも、済まんのぉ―。
ありがとう!」とおっしゃる声が。

で、私は即座に
以下のような言葉を。

「はい、
いつも、お世話になっていますから。
授業料です!」と、お返しした。

すると、くだんの同伴者の方は、
次のように。

「いやぁー、何もぉー」と、
笑いながら応えておられたが…。

私は、日頃の感謝の気持ちを
ただ、お伝えしたいだけだったのであるが、
受けとられた相手の方は、次のように思われた(筆者の推測)?

「何を言うとるんぞっ!
ついこの間は、ハーフでお前にやられ(負け)たし、
グロスでもやられたことが有るのにぃ。皮肉かっ!?」と。

この先輩同伴者の方の、思い(筆者の推察)に対して、
私は心の奥の方で、以下のような言葉を。

「いや、いや、とんでもございません。
いま、ここの私があるのは、
あなた様(先輩の同伴者)のお陰です。

あなた様(先輩)のお口添えで、
良いグループのメンバーに入れて頂いた上に、

いつも、ラウンド中には、優しいお声がけをいただき、
ありがとうございます。感謝、感謝です。」と、つぶやいたものの…。

いま、ここで、
よくよく、考えてみれば。

「常師じょうしと仰ぐ先輩(同伴者)に、私は勝った!
それこそが、まさに最大の恩返し!!!」
と、私は気づいた次第。

 では、あなたにお伺いします。

「お世話になった恩師や「常師じょうし」に、恩返しができた」!
と、あなたがお考えになったのは、いつ、どんな時でした?

常師(じょうし)

Dsc04926_20230708104901  画像は秋田の友人からの
プレゼントです。

 さて、今週のこと。

某ゴルフ場主催のコンペに参加したものの、
あまりの暑さに閉口。

それに加えて、低料金で好評なのか? 
高齢の参加者が大勢で、
昼からは各ホールでの待ち時間が長い。

そこで、私は、「熱中症予防に」と思い、
自宅から保冷バックに詰め込んで来た飴と
冷やしたゼリーを同伴者の先輩2人に、手渡しした。

すると、その先輩の1人の方から、
次のようなお言葉が返って来た。

「いつも、済まんのぉ―。
ありがとう!」とおっしゃる声が。

で、私は即座に
以下のような言葉を。

「はい、
いつも、お世話になっていますから。
授業料です!」と、お返しした。

すると、くだんの同伴者の方は、
次のように。

「いやぁー、何もぉー」と、
笑いながら応えておられたが…。

私は、日頃の感謝の気持ちを
ただ、お伝えしたいだけだったのであるが、
受けとられた相手の方は、次のように思われた(筆者の推測)?

「何を言うとるんぞっ!
ついこの間は、ハーフでお前にやられ(負け)たし、
グロスでもやられたことが有るのにぃ。皮肉かっ!?」と。

この先輩同伴者の方の、思い(筆者の推察)に対して、
私は心の奥の方で、以下のような言葉を。

「いや、いや、とんでもございません。
いま、ここの私があるのは、
あなた様(先輩の同伴者)のお陰です。

あなた様(先輩)のお口添えで、
良いグループのメンバーに入れて頂いた上に、

いつも、ラウンド中には、優しいお声がけをいただき、
ありがとうございます。感謝、感謝です。」と、つぶやいたものの…。

いま、ここで、
よくよく、考えてみれば。

「師匠と仰ぐ先輩(同伴者)の方に、私は勝った!
それこそが、まさに最大の恩返し!!!」
と、私は気づいた次第。常師

 では、あなたにお伺いします。

「お世話になった恩師や常師に、恩返しができた」!
と、あなたがお考えになったのは、いつ、どんな時です?

2023年7月 1日 (土)

「常師(じょうし)」解説ページ

Dsc06314_20230701135101  画像は秋田の友人からの
プレゼントです。

 さて、先月初めの事。

とあるゴルフ場にて、同伴者のAさんが、
私に「ナイスショット!」と声を掛けた後、
次のように尋ねる。

「いつの間にか、上手にに成っとるんやけど、
どこで、誰に、教えてもらいよるんぞ?」と。

で、私は次のように。

「はい、
ありがとうございます!

家で、YouTube(ユーチューブ)を見て、
練習場で『あぁでもない、こうでもない』と
試行錯誤しよるんです。」と、答えた。

すると!
という話の続きは、後段にて。

 先ずは、『論語(吉川幸次郎 中国古典選5 朝日文庫)の中から
抽出した「子張しちょう第十九 第22章」)をご覧に。

 最初に、読み下し文を。

えいの公孫朝こうそんちょう、子貢しこうに問うて曰わく、
仲尼ちゅうじいずくにか学まなべる。
子貢しこうわく、
文武ぶんぶの道みちは、未まだ地に堕ちず。
ひとに在り。
賢者けんじゃは其の大おおいなる者ものを識り、
不賢者ふけんじゃは其の小ちいさき者ものを識る。
文武ぶんぶの道みちざること莫し。
夫子ふうしいずくにか学まなばざらん。
しこうして亦た何なんの常つねの師か之れ有らん。

 次に、現代訳を。   

えいの公孫朝こうそんちょうが、子貢しこうに尋たずねた。
「仲尼ちゅうじ(孔子)は何処で、誰に学んだのですか」と。
子貢しこうは以下のように答えた。
「周の文王・武王の教えは、まだ衰え滅びてはいません。
人々の心(記憶)に残っています。
賢い者は、その大きな(重要な)ものを記憶しており、
そうでない者は、その小さなものを記憶しています。
文王・武王の教えは、どこにでも存在しているのです。
先生(孔子)は何処に学ぶ必要がありましょう。
そしてまた、どうして、決まった先生が必要でしょう」と。

 続いて、吉川博士の解説を。

・公孫朝は、古注の馬融ばゆうに、「衛の大夫」。
そのころ同名の人物があちこちにいたので、

「衛」の字を加えて区別したと、翟灝てきこう
「四書ししょ考異こうい」の説を、劉宝楠は引く。

事蹟は不明であるが、「公孫」といえば、
衛の公室の同族であったにちがいない。

・その人物が子貢に尋ねた。
仲尼、すなわち孔子の字あざなであるが、
あなたの先生は、どこで、
だれについて勉強されたのですか。

子貢はこたえた。
文明の創始者である周の文王、武王の方法は、

まだこの地上に墜落し
消え失せてしまってはいません。
脈脈として人間の間に存在しています。

すぐれた人間は、その重大な部分を知り、
すぐれない人間も、その小さなものを知っています。

どこへ行っても、文王、武王の方法が、
存在しないということはないのです。

すると先生は、どこでも勉強をされなかったというところはない。

「常師」、一定の先生が、どうしたかたちで存在したでしょうか。
すべての場所が、先生の勉強の場所であり、
すべての人が、先生の師であった。

・人類のある限り、文明の伝統は不滅である。
そうした確信が、子貢の言葉の前提としてあること、
いうまでもない。

子罕第九(第5章)で、
「天の未まだ斯の文を喪ほろぼさざるや」云々という
信念は、
弟子にも強く継承されていた。

 う~ん、
この一章について吉川博士は
丁寧な現代訳を付しておられる。

そこで、『角川新字源』には、どのような熟語や故事成句が?
と思い、検索してみた結果は以下の通り。

・【文武】ぶんぶ ②周の文王と武王。

・【墜地】ついち/ちにおつ 地に落ちる。おとろえほろびる。
〔論・子張〕「文武之道、未於地

・【常師】じょうし きまった先生。
〔論・子張〕「夫子焉不學、而亦何常師之有」

 あれっ?
この字書には、「文武」や「文武兼備」という熟語は有っても、
「文武の道」は、見当たらないが、
吉川博士は、「道」=「方法」と訳しておられる。

そこで、『角川新字源』にて、【】を検索してみれば、
以下のような記載が。

【道】ドウ/みち 意味①㋒方法。手段。〔論・学而〕「本立而道生」

吉川博士のおっしゃる通り、「道=方法」は確認できたものの、
何故か、私の腑には落ちない。

そこで、『論語新釈(宇野哲人 講談社学術文庫)の〔語釈〕を見れば、
以下のような記載が。

〇文武の道=周の文王武王の謨(はかりごと)訓(おしえ)
功績礼樂制度の類をいう。

 う~ん、
浅学菲才の身には、この[語釈]は、
少し、煩雑。

ちなみに、『論語(金谷 治訳注 岩波文庫)には、どのように記述が?
と思い、その※(注釈)を見れば、次のように記述が。

※文王・武王の道―—周の文王と武王とが伝えた道。
孔子の理想とした周初の文化の伝統。

「文王・武王の道」の現代訳については、
金谷博士の「孔子の理想とした周初の文化・制度」に、
私は軍配を上げたが…。

 さて、冒頭の続き。

とあるゴルフ場にて、「どこで、誰に教えてもらいよるんぞっ?」
と、おっしゃる同伴者のAさんの問いに対して、

私は、「自宅で、YouTube(ユーチューブ)を見て、
練習場で試行錯誤して、ゴルフ場で実践してみる。

そして結果が良ければ、継続するし、
そうでない(「自分に合わない」と判断した)場合は、やめる。 
すなわちスクラップ・アンド・ビルドを繰り返しているんです。」
と、答えた。

すると、Aさんは次のように。

「何ぃー!
ユーチューブを見てぇー。本当か?」と、
怪訝な目で、私の顔を見つめる。

「えぇー、本当です。」と、
私は涼しい顔で答えたが…。

昭和10年代生まれのAさんにとっては、
俄かに(すぐには)信じがたい様子…。

 「しまった」!!!
いま、ここで、私が気づいたこと。

それは、あの時、以下のように答えていれば…。

「それも、これれも、すべて、皆さんのお陰です!
毎月、(上手な)同伴者の皆さんのプレイを拝見して、

邪魔にならない(足を引っ張らない)よう、
私はYouTubeを視聴して、練習場で試行錯誤しよるんです!」
と答えればよかったのに…。後の祭り。

 では、あなたにお伺いします。

あなたの「常師じょうし」、すなわち「定まった先生」は、
どなたです?

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