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2023年8月27日 (日)

「執中(しつちゅう)」解説ページ

Dsc05798  画像は秋田の友人からの
プレゼントです。

 さて、今を去ること、
10年程も昔の話。

1年ぶりに会った同級生との会話中に、
私が、次のようなことを。

「允まことに、其の中ちゅうを執れ」という言葉が、
『論語』の一章にはあるけど…。」と言えば、

くだんの彼、同級生は、以下のように返す。

「そうよ。
学生時代にもその言葉を聞いたけどな。
その後、学生運動が激しくなった(昭和43年)頃には、

『中庸ちゅうようはノンポリだ!』という言葉が、
(学生の間でも)流行ってなぁー。

『中庸ちゅうようなど、どっちつかずは、ノンポリだ。
右か左かはっきりせよ!』と、よく言われたわい。」
と、当時の記憶の糸を手繰り寄せながら、感慨深げに言う。

 そういえば!
という話の続きは、後段のお楽しみ。

 先ずは、『論語(吉川幸次郎 中国古典選5 朝日文庫)の中から
抽出した「堯曰ぎょうえつ第二十 第1章」の第1段&第2段をご覧に。

 最初に、読み下し文を。

ぎょうわく
ああ、爾なんじしゅん
てんの暦数れきすう、爾なんじの躬に在り。
まことに其の中を執れ。
四海しかい困窮こんきゅうし、天禄てんろくながく終おわらん。
しゅんも亦た以って禹に命めいず。

 次に、現代訳を。   

(古代の帝王)堯ぎょうが次のように言った。
「咨ああ、君、瞬しゅんよ。
天の巡り合わせが、君の身にめぐって来た。
まことに、中庸ちゅうようの道を守って過不及のない政治を行なえ。
それを天下にまでおし広めれば、天の恵は永遠に続くであろう」と。
しゅんもまた同じように、禹に命じて、帝位を譲り渡した。

 続いて、吉川博士の解説を。

・ながい章であるから、区切って説明する。

・まず第一段は、古代の聖王すなわち完全な道徳者である
君主堯が、
自己の後継者としてえらんだ同じく完全な道徳者
舜に、
平和的に帝位を譲りわたしたときの言葉である。

・堯はいった。咨、音「シ」、訓「ああ」。
もっとも古い文献にのみ見える発語の感嘆詞である。

・「爾」は、「汝じょ」と発音も似た二人称。
かくて咨爾瞬の三字は、ああ、なんじ舜よ、と
愛情をこめた
厳粛な呼びかけとなる。

・次に「天之暦数」であるが、帝王の交替は、
すべて天命によるものであり、交替の序列は天に存在する。

かく、天の保管する帝王交替の序列の表、
それが「天之暦数」である
とするのが古注の説であって、

それが「爾なんじの躬に在り」とは、
いまやそうした天の序列が、
外ならぬ君の身の上にやって来た。

つまり、私があなたに譲位するのは、私の恣意ではなく、
天の序列として定まったものである、とそうした意味になる。

・この古注の説を、新注も襲っているが、
仁斎の「古義」のみは、
「暦数」を、農業の基礎となる暦法の
数字であると見、
それを天にかわって人民に授けるのが、
「天之暦数」であって、
古代の帝王の重要な任務であったが、

その任務が今や君の身の上にやって来た、とする。
旧説よりも、より少なく神秘的な解釈を与えようとする。

・「允執其中」以下は、帝王としての心得である。
「允」は「信也」と訓じ、まことに、誠実に。

「執」は、にぎる。「中」は中庸の道。
誠実に中庸の道をにぎって、政治を行なえ。

そうしたならば、四もの海のはてまでをも困きわめ窮くして、
天から与えられた幸福すなわち「禄」が、
永遠に終つづくであろう。
それが古注の解釈である。

新注は、もし政治が常道をはずれ、四海のひとが
困窮困難したならば、
せっかく天から与えられた幸福も
永遠に絶滅終熄するであろう。


両説は「終」の字の読み方が、大変ちがう。

・躬きゅう、中ちゅう、窮きゅう、終しゅうは、脚韻をふむ。

<中略>

・第二段。
舜もまたその帝位を完全な道徳者である禹に譲りわたした。
「皇極経世書」や「通鑑前編」によれば、BC二ニ〇三年である。

・舜も、かつて堯から聞いた言葉、
すなわち「天の暦数」云々を、
そのまま禹にいった。

・「命」とは、重重しい言葉を発することであって、
必ずしも命令ではない。

・舜が禹へ譲位の際にいった言葉も、
「尚書」の信頼すべき部分、
および「史記」には見えない。

<以下割愛>

 吉川博士は、この一章を詳しく解説しておられる。

そこで、私が『角川新字源』にて、この一章の第一段に関する語句や
熟語の類を検索してみた結果は、以下の通り。

・【咨】シ 意味①はかる(議)。とう(問)。
相談する。同義語:諮 
②なげく。なげき。
③ああ。感嘆の声。④これ。この。ここに。

・【暦数(數)】れきすう ②天のまわりあわせ。
自然にめぐってくる運命。

また、天命を受けて帝位につく運命。同義語:歴数。

・【允】イン 意味②まことに。ほんとうに。

・【執中】しっちゅう 中庸の道を守って、行き過ぎや足りないことのないこと。〔論・堯曰〕「允執其中

・【四海困窮】しかいこんきゅう 天下の民が生活に苦しむ。
一説に、天下にまでおし広める。
〔論・堯曰〕「四海困窮、天祿永終」

・【天祿】てんろく 天が授ける幸い。天のめぐみ。
〔論・堯曰〕「四海困窮、天祿永終」

・【永終】えいしゅう 包咸ほうかんの説では、長く続く。
朱子の説では、永久に絶える。
〔論・堯曰〕「四海困窮、天祿永終」

 おぉ~、
やったぁ~。
あった!!!

この一章についての語句や熟語が。
しかも、出典付きで。

また、吉川博士がおっしゃる通り、
古注と新注との解釈の違いまでも。

やれ、やれ、ホッ!
としたところで、冒頭の続きを。

 冒頭の彼、中学時代の同級生が、学生運動の渦中にいた頃、
私は、その学生運動のニュースをラジオで聞きながら、
一人、必死に、残業をしていた。

「少しでも早く、一人前になって、
周囲からも認められる存在に為ろう!」という思いで。

それが私の人生の転機になったのであるが…。

一方の彼、同級生は、当時、有名な私立大学の学生であった。
でも、その彼が、学生運動に夢中であったのか?
それとも、学業に精を出していたのか?

そこまで深く、私は聞き及んでいないものの、
卒業後、彼は東証一部上場企業の某社に就職して、
「部長職まで務めた」と。

ところが、「禍福は糾あざなえる縄の如ごとし」。

リストラの嵐が吹き荒れる最中に、
彼は「部下の首を切れ」という上層部の命令に逆らえず、
悩みぬいた末に、自らの身を切る道を選び、退職を決意したと。

 その彼が選んだ道、
それが、「執中しっちゅう」であったのか、否か? 

彼は、経済的には、不自由な生活を強いられることになったが、
精神的な負担が減って、その身は軽くなったことであろう。

でも、その後、(元)部下は、どうなったのであろう?
私はそこまで聞き及んでいないが…。

いずれにしても、彼は「執中しっちゅう」、
すなわち中庸ちゅうようの道を守り、過不及のない企業人生を
終えたとは、私には思えないのであるが…。

 では、あなたにお伺いします。

あなたが道(進路)に迷ったとき、「よしっ、執中しっちゅう」!
すなわち「中庸ちゅうようの道を執ろう!」と考えた記憶は?

2023年8月19日 (土)

一言以爲不知(いちげんもってふちとなす)

1311094  画像は秋田の友人からの
プレゼントです。

 さて、私が、「一言以爲不知一 いちげんもってふちとなす
と考える人物像は、「自らのことを自慢げに話す(喋る)」人、
すなわち、自らの自慢話をする人。

そのような人に遇った時、私は、「そうですか。」
「そうでしたか」、「ほぉー、それは大変でしたね」などと、
相槌を打ちながら、ひたすら聞き役に徹するのであるが…。

 今を去ること、40年近くも昔となれば、
話は多少以上、異なる。

その、ほんの一部をご紹介すれば、
以下の通り。

 ある日のこと、後輩のC君が、
私に次のようなことを。

「専務が、ちょっと会議室迄来てくれと。」
と、(内線)電話で言う。

「何か、いいこと(朗報)かな?」と、
若かりし頃の私が、喜び勇んで会議室に行けば、
C君と、実兄のC専務とが、そこに待ち構えていた。

詳細は差し控えるものの、オーナー社長も出席する
幹部会議の席上にて、黙認しかねるC君の社内での言動、
その事実をありのままに報告した。

その席上にて、私の報告を聞いたC専務は、
会議が終わった後、実弟C君を会議室に呼びつけ、
私の報告内容が、事実か、否か? をC君に確認した。

その結果、社内での、実弟の不埒な言動を確認した
C専務ではあったが、私に対して、次のようなことを。

「一言多いわい!」と、(私に)吐き捨てるように言った。
でも、「一言以爲不知一 いちげんもってふちとなす
とは、言わなかった。

それでも、C専務は、次のようなことを。

「わしも、一言多いと言われるけど、
お前も、一言多いわい」と、苦言を呈した。

ただ、それだけの話ではあったが…。

 当時、私が勤めていた企業は、○○株式会社という
法人組織ではあったが、実態はオーナー社長が実権を握る
同族会社であり、個人企業に毛の生えたような、
小さな企業であった。

創業間もない頃から、オーナー社長と二人三脚で歩ん来て、
ここまでの企業に成長させたと自負するC専務にしてみれば、

多少の我が儘ままも許される、と踏んでいたのか?
実弟のC君も、そのように考えていたのであろう。

ところが、新任管理職の私が、
いきなり、実弟のC君の、傍若無人振りを、
オーナー社長も出席する席上にて報告(リーク?)した。

それが、我が物顔に振る舞うC専務にとっては、
「カチン」と来た(のであろう)。

で、「一言多いわい」という、
怒り交じりの言葉となったのであろう。

でも、会議の席上で取り上げた(報告した)私にしてみれば、
管理者として当然のことをしたまで、という思い、
責任感のみであった。

ところが、実弟の不祥事を会議の席上にて公表された
C専務にしてみれば、青天の霹靂へきれきであり、
怒りの矛先を治めることができなかったのであろう。

 一方、「一言多いわい」と窘たしなめられた私はといえば、
女房・子供(娘)の口から、次のような一言を聞く機会が。

「(お父さんは)ハッとする、ヒヤリとする言葉をサラっと
言うんで、(私たちは)冷や冷やする。」と(言う苦言を)。

それが「一言以為 いちげんもってちとなす」類の言葉であるのか?
それとも、「一言以為不知一 いちげんもってふちとなす」言葉である
のか? 言った本人、すなわち私には、その自覚がない。

 さらに言えば、現役時代は、この私の容赦の無い軽い一言で
「傷ついた」、あるいは、「憤慨した」などと、
後日、打ち明けてくれた部下の一言やその声の記憶も。

私は「一言居士いちげんこじ」であるとは、思っていないものの、
どうやら、私は、「一言以為不知一 いちげんもってふちとなす
という(孔子の弟子の)子貢しこうの言葉を地で行く困った
老爺である(らしい)。

 では、あなたにお伺いします。

あなたは「一言以為 いちげんもってちとなす」人?
それとも、「一言以為不知一 いちげんもってふちとなす」人?
あるいは、一言居士いちげんこじ

 

2023年8月13日 (日)

「一言以爲不知(いちげんもってふちとなす)」解説ページ

Dsc05805  画像は秋田の友人からの
プレゼントです。

 のっけ(冒頭)から、
あなたに質問です。

「一言ひとこと多いんやないか?」という言葉を発した
ご記憶、あなたには、ありません?

その時の相手は、
同僚・後輩、それとも…?

また、その時の、その一言は、
相手のためを思ってのこと?

それとも、腹立ちまみれに、
自らの感情をそのまま口にしただけ?

いま、ここで、過去(その時)の一言を振り返り、
今後の対応策(対処の仕方)が頭に浮かんだ
あなたに、僭越ながら、以下の「論語」の一章をプレゼント。

 先ずは、『論語(吉川幸次郎 中国古典選5 朝日文庫)の中から
抽出した「子張しちょう第十九 第25章」をご覧に。

 最初に、読み下し文を。

陳子禽ちんしきん、子貢しこうに謂いて曰わく、
は恭きょうを為す也なり
仲尼ちゅうじに子よりも賢まさらん乎
子貢しこうわく、
君子くんしは一言いちげんって知と為し、
一言いちげんって不知ふちと為す。
げんは慎つつしまざる可からざる也なり
夫子ふうしの及およぶ可からざるや、
お天てんの階はしして升のぼる可からざるがごとき也なり
夫子ふうしの邦家ほうかを得んには、
所謂わゆる之れを立つれば斯ここに立ち、
れを道みちびけば斯ここに行おこなわれ、
れを綏やすんずれば斯ここに来たり、
れを動うごかせば斯ここに和やわらぐ。
の生くるや栄さかえ、
の死するや哀かなしまる。
れを如何いかんぞ其れ及およぶ可けん也

 次に、現代訳を。   

陳子禽ちんしきんが子貢しこうに、次のように言った。
「あなたは謙遜していらっしゃるのです。
仲尼ちゅうじ(孔子)は、あなたよりも優れているのですか」?
子貢しこうは以下のように応えた。
君子は、一言ひとことのみで、知者とみなされ、
一言で、知性に欠けた愚か者とみなされる。
言葉は慎まなければならない。
先生(孔子)の余人(他の人)には及ばない所(偉大さ)は、
天に梯子はしごを掛けても登れないようなものである。
先生(孔子)が、もし、諸侯の地位に就いたならば、
世にいうところの、『立てれば、立ち、
導けば、行われ、
安んずれば、来
動かせば、和なごむ。
生きている間は、栄誉を受け、
亡くなったときは、哀かなしまれる』。
どうして、私など、足元にも、及ぶものか!」と。

 続いて、吉川博士の解説を。

・子貢の方が孔子より偉い、というゴシップは、
前前条の、叔孫武叔の言葉としてあらわれるだけでなく、
あちこちでつぶやかれていたらしい。

・姓は陳、字あざなは子禽という人物、それは前の学而第一で、
孔子の政治に対する関与のしかたを、子貢に問うた子禽、

また季子第十六で、孔子の子の伯魚に、
孔子の家庭教育についてたずねた陳亢と、
同一人であるとする説、別人とする説、がある。

・その人物が、子貢にいった。あなたは謙遜していらっしゃる、
あなたの先生の仲尼だって、あなたよりも、偉大でない。

子貢はいった。
君子は、ただの一つの言葉で知性のあるものとされ、
ただの一つの言葉で知性を欠くものとされる。

言葉は慎重にしなければならない。
つまりあなたのいまの一言は、あなたの知性のなさを示す。

うちの先生のえらさは、他人では追っつけない、
天が階段を掛けてのぼることができないのと同じです。

先生は君主として政治をされる地位には、いられない。
しかしもし先生が、「邦」すなわち諸侯の一国、

もしくは「家」すなわち家老の一家、を得られて、
その君主となられたならば、
そうした仮定であるとするのが古注の説である。

古注の孔安国に、「諸侯若しくは卿大夫と為ることを謂う也」
というのはそれであり、皇侃、邢疏、みなその方向に解する。

しかしそれではあまりに刺激的だとするのであろう、
新注は深くそれに触れない。

おそらく、単に「邦家」の政治を主宰する地位に立ったならば、
と読むのであろう。

何にしても、そうした地位に先生が立たれたならば、
「所謂」、いわゆる、というのだから、

以下は理想的な政治の形態をいうものとして、
すでに存在する言葉を引いたにちがいない。

なにかを樹立すれば、すぐそれが樹立され、
なにかの方向にみちびけば、すぐ実行され、

平和な政策を取れば、すぐ遠国がやって来、
ある運動のきっかけをあたえれば、すぐ人民が平和になり、

生存中は栄誉を受け、死はひろい悲しみをまねく。
きっとそうした状態が出現するでありましょう。

こうした先生の偉大さに、
どうして追っつくことができましょう。

・四つ使われた「斯に」は、一訓「斯すなわち」。
原因と結果の間の急速な結びつきを示すこと、
いつもの如くである。

・孔子が君主であったならば、という古注の説は、
大胆すぎるようである。

しかし「其生也栄、其死也哀」という表現は、
君主が生前死後にうける名誉をいうのに、
もっともふさわしいように見える。

・孔子は「素王そおう」、無冠の帝王であり、聖人であるかれは、
歴史がもし純粋に理論的に発展していたならば、

当然帝王となるべきであったとする説が、
「春秋」の解釈の一派である公羊家くようかにある。

「論語」のこの章は、そうした思考の
早いあらわれであるかも知れない。

にもかかわらす、公羊家の書で、この条に言及したものを、
手近には知らない。徂徠は、黙して何事もいわぬ。

 あれっ、
荻生徂徠は公羊家くようか

ちなみに、「公羊くよう」を
角川新字源』にて検索してみれば、以下のような3つの語句が。

・【公羊学(學)】くようがく 「公羊伝」をもとにした学問。
社会が発展し、乱世から太平の世に進むという史観にたつ。

・【公羊高】くようこう 戦国時代、斉の人。
孔子のでしの子夏の門人。「春秋」の注釈書を作った。

・【公羊伝(傳)】くようでん 書名。十一巻。
公羊高の著で、「春秋」の注釈書。
「左氏伝」「穀梁伝こくりょうでん」とともに春秋三伝といわれる。

 「公羊くよう」で検索してみても、「荻生徂徠おぎゅうそらい」で
検索してみても、『角川新字源』には、「徂徠」が「公羊家」である
とは記されてない。

徂徠は、「古文辞学を唱え、「論語徴」など多数の著書がある」と
角川新字源』には、記されているので、その徂徠さえも、
「黙して何事もいわぬ」と、吉川博士はおっしゃったのであろう。

ちなみに、この一章に関する吉川博士の「現代訳」が
あまりにも、丁寧で、解り易いなので、そのまま頂戴しようかな?
と、私は思ったものの、それではあまりにも味気ない。

しかし、『角川新字源』にて、この一章に関する語句や熟語、
成句などを検索してみても、「邦家」さえも、ヒットしない。
わずかに、遭遇したのは、次の言葉のみ。

【所謂】しょい/いわゆる いうところの。普通にそういっている。
世にいう。俗にいう。〔論・先進〕「所謂大臣者」

蛇足ついでに、『広辞苑』を開いて見れば、
以下のような記載が。

ほうか【邦家】 くに。国家 

 また、『論語新釈(宇野哲人 講談社学術文庫)の[語釈]を見れば、
詳細な解釈(語釈)はあるものの、
ここに「転載する程のものではない」と、私は判断して割愛した。

その理由の1つが、「一言以為不知いちげんもってふちとなす
と、子貢の述べている一言。

 あれぇー、
荻生徂徠も、
この子貢の一言(一言以為不知いちげんもってふちとなす)に
触発されて、「黙して何事もいわぬ」!?

というのは、あまりにも荒唐無稽。
すなわち根拠のないでたらめな話。

 かように、書けば書くほど、記せば記す程、
自己の愚かさ証明するようで…。
本日は、これにてお終い!

  <<< 附録 >>>

子禽しきんと子貢しこうとの関係は?

論語上(吉川幸次郎 中国古典選3 朝日文庫)
「学而第一 第10章」を見れば、以下のような記載が。

子禽は孔子の弟子であったという説と、
子貢の弟子であったとする説とがある。

と記されている。

これ、この一言(二言?)が、冒頭の問題(質問)の答えになる!
と私は考え、「黙して何事もいわぬ」態度を貫いたのであるが…。

2023年8月 6日 (日)

多見其不知量也(まさにそのりょうをしらざるをみるなり)

1306024  画像は秋田の友人からの
プレゼントです。

 さて、私は毎回、ラウンド(ゴルフを)を終えたその日の内に、
友人のBさんに、「ラウンドリポート」をお送りする。

すると、2~3日後に、
Bさんからreview(レビュー。評論。感想)が届く。

そのレビュー(らぶれた~)を見た私は、
新たな気づき・発見を得て、
次回のラウンドや練習の参考にしている。

ところが、今回は、同じような(進歩が感じられない)結果を見た
Bさんは、業を煮やしたのか? 
Bさんから、次のようなコメントが。

リポート拝見する限りでは、ラウンド中にあれこれ考えるのが
マイナス要因になっているのでは?

一度コースマネジメント以外は深く考えないで
回ってみたらどうでしょうか。
案外、好スコアが出るかもですね。

このらぶれた~を一読した私は、
次のような推察をした。

「おっ、
さすが、Bさん!
気の多い私の性格を熟知しておられる。

でも、コレクター(収集家)の私は、
あれや、これや、に食指を動かし、

自分に合ったスイングを取り入れて、
少しでも、前(ターゲット方向)に行こうと必死のパッチ。

それが却って、スコアを崩す結果に?

周りの人からは、「いい球を打つ。そのままのスイングでいい。
変えん方が良い。あれ、これ、いろわん(変えない)方が良い。
考えん方が良い。」という助言まで、頂戴するのであるが…。

 私は、強欲なコレクター(収集家)にて、
「多見其不知量也まさにそのりょうをしらざるをみるなり」、
すなわち、「己の愚ぐ(愚かさ)をあらわすのみ」。

つまり、「自分の力量を知らないという愚かさを
さらけ出している」。ただ、それだけの収集家であり、

あれこれ食指を動かし過ぎて、道に迷った私、
すなわち、亡羊の嘆に暮れる私。

Bさん、その私(何とか)につける
薬の処方箋をお願い(します)。

 えっ、
なに!?

その処方箋こそが、上記のらぶれた~であり、
なんとか(愚。馬鹿)につける薬の処方箋?

だとすれば、やっぱり私は、
「多見其不知量也まさにそのりょうをしらざるをみるなり」?

 んんっ、
Bさんは、「ターゲットを見て、いま、ここ、に集中せよ!」
と、私に忠告している?

でも、Bさんと私との間には、
その「ターゲット(目標)」に、少しばかりズレが…。

 では、あなたにお伺いします。

あなたの悪口を言う人に対して、
「多見其不知量也まさにそのりょうをしらざるをみるなり」、

すなわち「ただ、己の愚かさを露呈しているのみ!」と
あなたは解して、平然としていることができます? 

それとも、……?

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