「執中(しつちゅう)」解説ページ
さて、今を去ること、
10年程も昔の話。
1年ぶりに会った同級生との会話中に、
私が、次のようなことを。
「允まことに、其その中ちゅうを執とれ」という言葉が、
『論語』の一章にはあるけど…。」と言えば、
件くだんの彼、同級生は、以下のように返す。
「そうよ。
学生時代にもその言葉を聞いたけどな。
その後、学生運動が激しくなった(昭和43年)頃には、
『中庸ちゅうようはノンポリだ!』という言葉が、
(学生の間でも)流行ってなぁー。
『中庸ちゅうようなど、どっちつかずは、ノンポリだ。
右か左かはっきりせよ!』と、よく言われたわい。」
と、当時の記憶の糸を手繰り寄せながら、感慨深げに言う。
そういえば!
という話の続きは、後段のお楽しみ。
先ずは、『論語下』(吉川幸次郎 中国古典選5 朝日文庫)の中から
抽出した「堯曰ぎょうえつ第二十 第1章」の第1段&第2段をご覧に。
最初に、読み下し文を。
堯ぎょう曰いわく
咨ああ、爾なんじ瞬しゅん。
天てんの暦数れきすう、爾なんじの躬みに在あり。
允まことに其その中を執とれ。
四海しかい困窮こんきゅうし、天禄てんろく永ながく終おわらん。
舜しゅんも亦また以もって禹うに命めいず。
次に、現代訳を。
(古代の帝王)堯ぎょうが次のように言った。
「咨ああ、君、瞬しゅんよ。
天の巡り合わせが、君の身にめぐって来た。
まことに、中庸ちゅうようの道を守って過不及のない政治を行なえ。
それを天下にまでおし広めれば、天の恵は永遠に続くであろう」と。
舜しゅんもまた同じように、禹うに命じて、帝位を譲り渡した。
続いて、吉川博士の解説を。
・ながい章であるから、区切って説明する。
・まず第一段は、古代の聖王すなわち完全な道徳者である
君主堯が、自己の後継者としてえらんだ同じく完全な道徳者
舜に、平和的に帝位を譲りわたしたときの言葉である。
・堯はいった。咨、音「シ」、訓「ああ」。
もっとも古い文献にのみ見える発語の感嘆詞である。
・「爾じ」は、「汝じょ」と発音も似た二人称。
かくて咨爾瞬の三字は、ああ、なんじ舜よ、と
愛情をこめた厳粛な呼びかけとなる。
・次に「天之暦数」であるが、帝王の交替は、
すべて天命によるものであり、交替の序列は天に存在する。
かく、天の保管する帝王交替の序列の表、
それが「天之暦数」であるとするのが古注の説であって、
それが「爾なんじの躬に在り」とは、いまやそうした天の序列が、
外ならぬ君の身の上にやって来た。
つまり、私があなたに譲位するのは、私の恣意ではなく、
天の序列として定まったものである、とそうした意味になる。
・この古注の説を、新注も襲っているが、
仁斎の「古義」のみは、「暦数」を、農業の基礎となる暦法の
数字であると見、それを天にかわって人民に授けるのが、
「天之暦数」であって、古代の帝王の重要な任務であったが、
その任務が今や君の身の上にやって来た、とする。
旧説よりも、より少なく神秘的な解釈を与えようとする。
・「允執其中」以下は、帝王としての心得である。
「允」は「信也」と訓じ、まことに、誠実に。
「執」は、にぎる。「中」は中庸の道。
誠実に中庸の道をにぎって、政治を行なえ。
そうしたならば、四よもの海のはてまでをも困きわめ窮つくして、
天から与えられた幸福すなわち「禄」が、
永遠に終つづくであろう。それが古注の解釈である。
新注は、もし政治が常道をはずれ、四海のひとが
困窮困難したならば、せっかく天から与えられた幸福も
永遠に絶滅終熄するであろう。
両説は「終」の字の読み方が、大変ちがう。
・躬きゅう、中ちゅう、窮きゅう、終しゅうは、脚韻をふむ。
<中略>
・第二段。
舜もまたその帝位を完全な道徳者である禹に譲りわたした。
「皇極経世書」や「通鑑前編」によれば、BC二ニ〇三年である。
・舜も、かつて堯から聞いた言葉、
すなわち「天の暦数」云々を、そのまま禹にいった。
・「命」とは、重重しい言葉を発することであって、
必ずしも命令ではない。
・舜が禹へ譲位の際にいった言葉も、
「尚書」の信頼すべき部分、および「史記」には見えない。
<以下割愛>
吉川博士は、この一章を詳しく解説しておられる。
そこで、私が『角川新字源』にて、この一章の第一段に関する語句や
熟語の類を検索してみた結果は、以下の通り。
・【咨】シ 意味①はかる(議)。とう(問)。
相談する。同義語:諮 ②なげく。なげき。
③ああ。感嘆の声。④これ。この。ここに。
・【暦数(數)】れきすう ②天のまわりあわせ。
自然にめぐってくる運命。
また、天命を受けて帝位につく運命。同義語:歴数。
・【允】イン 意味②まことに。ほんとうに。
・【執中】しっちゅう 中庸の道を守って、行き過ぎや足りないことのないこと。〔論・堯曰〕「允執二其中一」
・【四海困窮】しかいこんきゅう 天下の民が生活に苦しむ。
一説に、天下にまでおし広める。
〔論・堯曰〕「四海困窮、天祿永終」
・【天祿】てんろく 天が授ける幸い。天のめぐみ。
〔論・堯曰〕「四海困窮、天祿永終」
・【永終】えいしゅう 包咸ほうかんの説では、長く続く。
朱子の説では、永久に絶える。
〔論・堯曰〕「四海困窮、天祿永終」
おぉ~、
やったぁ~。
あった!!!
この一章についての語句や熟語が。
しかも、出典付きで。
また、吉川博士がおっしゃる通り、
古注と新注との解釈の違いまでも。
やれ、やれ、ホッ!
としたところで、冒頭の続きを。
冒頭の彼、中学時代の同級生が、学生運動の渦中にいた頃、
私は、その学生運動のニュースをラジオで聞きながら、
一人、必死に、残業をしていた。
「少しでも早く、一人前になって、
周囲からも認められる存在に為ろう!」という思いで。
それが私の人生の転機になったのであるが…。
一方の彼、同級生は、当時、有名な私立大学の学生であった。
でも、その彼が、学生運動に夢中であったのか?
それとも、学業に精を出していたのか?
そこまで深く、私は聞き及んでいないものの、
卒業後、彼は東証一部上場企業の某社に就職して、
「部長職まで務めた」と。
ところが、「禍福は糾あざなえる縄の如ごとし」。
リストラの嵐が吹き荒れる最中に、
彼は「部下の首を切れ」という上層部の命令に逆らえず、
悩みぬいた末に、自らの身を切る道を選び、退職を決意したと。
その彼が選んだ道、
それが、「執中しっちゅう」であったのか、否か?
彼は、経済的には、不自由な生活を強いられることになったが、
精神的な負担が減って、その身は軽くなったことであろう。
でも、その後、(元)部下は、どうなったのであろう?
私はそこまで聞き及んでいないが…。
いずれにしても、彼は「執中しっちゅう」、
すなわち中庸ちゅうようの道を守り、過不及のない企業人生を
終えたとは、私には思えないのであるが…。
では、あなたにお伺いします。
あなたが道(進路)に迷ったとき、「よしっ、執中しっちゅう」!
すなわち「中庸ちゅうようの道を執とろう!」と考えた記憶は?
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