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2023年10月29日 (日)

欲而不貪(ほっしてむさぼらず)

1603197  画像は秋田の友人からの
プレゼントです。

 さて、今週は、25日(水)から、
松の剪定作業を最優先にしているが…。

たとえ、成長が遅いといわれる松の木であっても、
1年間も放置すれば、成長するし、茂る。

加えて、「枝を何層にもする方が良い」という
教えを頑なに守り、枝を伸ばし放題にしていたので、
自己流の剪定手法が身に染み付いた吾身には面倒の極。

 また、愚妻が、我が家の狭い庭に鉢植えを、
所構わず並べているし、植木鉢を放置しているので、
立錐の余地もない?

否、脚立(園芸用の三脚)を立てる余地がなく、
その移動に四苦八苦。

 さらに、後片付け、
すなわち剪定屑の処理にも一苦労。

「あれもこれも、やりたい、処理したい」と
欲望を丸出しにして取り組んではいるが中々、捗らない。

松の剪定さえ終れば、後は「お茶の子さいさい」。
すなわち雑木は、大挟みで一気に(1日で)!
と、目論んではいたものの、手間取るばかり。

 孔子は「欲而不ほっしてむさぼらず」〔論・堯曰〕
といい、「人道に対する欲望ならば、
どれほど欲張っても貪欲にはならない」というが、

たとえ、他人の家の庭木であっても、
放置したままで手入れをしていなければ、
通りすがりの人々であっても、その現状・現場を見れば、
気が滅入る。

それで!?

愚妻は、花木を植えて華やかにしていれば、
自らは勿論、通りすがりの人々であっても
気分が良くなる(ハズ)、と考えるのであろうか?

これも「人道」の1つといえば、聞こえはいいが、
「過猶レ不レ及すぎたるはなおおよばざるがごとし」〔論・先進〕。

欲望を丸出しにして、次々に買い漁り、猫の額ほどの庭に、
あれこれ植えたり、鉢植えを置いたりしていたのでは、
財布の中身に反比例して、植木は増え、空鉢やプランターの類は
増えるばかり。

 翻って、殺風景な程に、「何もないのが、善い!」
と考える私にとっては、迷惑千万。

「欲而不ほっしてむさぼず」、
すなわち、欲望も程々に!

と、わが身を振り返って見れば、用済みの? 
否、自らには不適合のギア(ゴルフクラブ)を買い集め、

数回使用した後、展示(放置)している自身にもいえる
この箴言・格言、「欲而不ほっしてむさぼず」。

 では、あなたにお伺いします。

あなたの周りには、欲望のままに買い求めた品物、
何が眠っています?

2023年10月21日 (土)

「欲而不貪(ほっしてむさぼらず)」解説ページ

1402014  画像は秋田の友人からの
プレゼントです。

 さて、先週のこと。

友人のAさんから、次のような
らぶれた~(メール)が。

先日のラウンド、終盤乱調となった要因は
全て本人のゴルフスキル全般の未熟さです。

この反省を忘れないようにしたいのですが、
コースに出ると我欲が優先し、元の木阿弥に…。
<中略>
明日のラウンドは、新調したドライバーを
初めて使うのですが、そのドライバーは、どうかな~?
練習場での感触は悪くないのですが、実戦では?

と、おっしゃるので、私は!
という話の続きは、後段にて。

 先ずは、『論語(吉川幸次郎 中国古典選5 朝日文庫)の中から
抽出した「堯曰ぎょうえつ第二十 第2章」をご覧に。

 最初に、読み下し文を。

子張しちょう孔子こうしに問いて曰いわく
如何いかなれば斯れ以もって政まつりごとに従したごうべき。
わく、
五美ごびを尊とうとび、四悪しあくを屛しりぞくれば、
れ以もって政まつりごとに従したごうべし。
子張しちょうわく、
なにをか五美ごびと謂う。
わく、
君子くんしは恵けいして費ついやさず。
ろうして怨うらまず。
ほっして貪むさぼらず。
たいにして驕おごらず。
あって猛たけからず。
子張しちょうわく、
なにをか恵けいして費ついやさずと謂う。
わく、
たみの利する所ところに因って之れを利す。
れ亦た恵けいして費ついやさざるにあらずや。
ろうす可きを択えらんで之れを労ろうす。
た誰たれをか怨うらまん。
じんを欲ほっして仁じんを得
た焉いずくんぞ貪むさぼらん。
君子くんしは衆寡しゅうかと無く、小大しょうだいと無く、
えて慢あなどる無し。
れ亦た泰たいにして驕おごらざるにあらずや。
君子くんしは其の衣冠いかんを正ただしくし、
の瞻視せんしを尊とうとくす。
儼然げんぜんとして人ひとのぞんで之れを畏おそる。
れ亦た威あって猛たけからざるにあらずや。

 次に、現代訳を。   

子張しちょうが、孔子に尋ねた。
「どのようにすれば、政治を行うことができますか」?
孔子は以下のように答えた。
「五つの美を尊び、四つの悪を退ければ、
政治を行うことができるであろう」。
子張しちょうは、さらに尋ねた。
「五つの美とは、どのようなものでしょうか」?
孔子は以下のように答えた。
「君子は恵んでも費用をかけない。
労役をさせても恨みを買わない。
欲望を欲しいままにしない。
どっしりと落ち着いていても、驕おごり高ぶらない。
威厳があっても荒々しくない」と。
子張しちょうは、みたび尋ねた。
「恵んでも、費用を掛けないとは、どういうことでしょうか」?
孔子は以下のように答える。
「人民が利益とする所にもとづいて、利益を得させる。
これは恵んでも費用をかけないことではないか。
労役に服する人民を選んで労働させる。
誰が怨むであろう。
仁道を欲ほっして仁道を得る。
どうして、貪むさぼるといえようか。
君子は相手の多寡・多少、大小に関係無なく、
決して慢あなどることは無い。
これは、どっしりと落ち着いて、驕り高ぶらないことではないか。
君子は衣服と冠かんむりを正して、
その見る目つきを重んじる。
いかめしく、おかし難く、周りの人々が畏敬(敬服)して望む。
これは、威厳があっても、荒々しくないことではないか」と。

 続いて、吉川博士の解説を。

・この章は、「五美」「四悪」という数え方が、
図式的であるばかりでなく、
これまでの諸篇に見えた言葉と
重複するものが多い。

最初の頃の「論語」のあちこちに見えた言葉を、
綴り合せ挿み込んで、無理に全篇の結語としたような
感じが強い。

中に書いてあることは、一一もっともであるが、
かくも完全な政治のもとにいる人間は、
かえって息苦しいであろう。

・子張問於孔子、日本の本は、
子張問政於孔子と、「政」の字が多い。

どうしたら政治をやれますか。
「従政」の二字は雍也第六(第8章)、
子路第十三(第13章)、
微子第十八(第5章)に見え、
それから帰納すれば、
政治の責任者となる意味である。

それに対し、孔子が「五つの美を尊び、
四つの悪を屛しりぞける」
と答えたの対し、
「五美」とは何かと、子張がさらに問い、

孔子はまず五つの教条を列挙すると、子張がさらに一一の
教条の内容を問い、孔子がくわしく説明するかたちである。

・五美の第一、恵して費やさず。
人民の利益とする所に因って
利益を与えてやる。
費用のかからぬ恩恵である。

ニ、労して怨まず。
労働させてもよい人間を選択して労働させる。

怨みはおこらない。

三、欲して貪らず。
欲望を仁の方向に向かってはたらかせ、
仁を獲得する。
ほかのことに対する欲望ならともかく、

人道に対する欲望ならば、どれほど欲張っても
貪欲にはならない。

四、泰にして驕らず。
貫禄はあるが傲慢でない。

相手の衆寡大小は無視して、どれに対しても、
あなどる気もちがない。
泰而不驕の四字は、子路第十三(第26章)に見えた
表現である。

五、威あって猛からず。
この表現も、述而第七(第37章)に、
孔子の性格として見えるが、
ここの説明では、
むしろ容貌姿態である。

「其の衣冠を正しくし、其の瞻視を尊くし」、
「瞻視」も、「見る」ことである。

「儼然人望んで之れを畏る」。
子張第十九(第9章)、「之れを望めば厳然」の
いいかえであろう。

<以下割愛>

 吉川博士は以下のようにおっしゃる。

・「従政」とは、政治の責任者になるという意味である。
「瞻視」も、「見る」ことである。

また、五美については以下のように。

1.恵して費やさず。人民の利益とする所に因って
利益を与えてやる。
費用のかからぬ恩恵である。

2.労して怨まず。労働させてもよい人間を選択して
労働させる。
怨みはおこらない。

3.欲して貪らず。欲望を仁の方向に向かってはたらかせ、
仁を獲得する。
人道に対する欲望ならば、
どれほど欲張っても貪欲にはならない。

4.泰にして驕らず。貫禄はあるが傲慢でない。
相手の衆寡大小は無視して、どれに対しても、
あなどる気もちがない。

5.威あって猛からず。この表現も、
述而第七(第37章)に、
孔子の性格として見えるが、
ここの説明では、むしろ容貌姿態である。

 じゃあ、
角川新字源』にはどのように?
と思い、検索してみた結果は以下の通り。

・【従政】じゅうせい 政務をとり行なう。
〔論・子路〕「於政乎何有」

・【四悪】しあく 君主が政治上してはならない
四つの悪い事がら。

 -虐(平素教化しておかないで
人民が罪を犯したからとて殺す)、

 -暴(あらかじめ人民をいましめておかないで
目前の成果を要求する)、

 -賊(いいかげんな命令をしておいて
期日がきたと責めたてる)、

 -有司(財物をあたえるべき場合に
出しおしみをする)〔論・堯曰〕

・【衆寡】しゅうか 多いとすくないと。多勢と無勢ぶぜい。
同義語:多寡・多少

・【泰而不驕】たいにしておごらず おもおもしくどっしりと
落ち着いているが、
おごりたかぶったところがない。
〔論・堯曰〕

・【威而不猛】いありてたけからず 威厳はあるが
あらあらしくはない。
〔論・述而〕「子温而厲、威而不猛」

・【衣冠】いかん ①衣服とかんむり。正しい装束。
〔論・堯曰〕「君子正其衣冠

・【瞻視】せんし 見る。また、その目つき。
〔論・堯曰〕「尊其瞻視

・【儼然】げんぜん おごそかで、おかしがたいさま。
いかめしいさま。

〔論・子張〕「君子有三変、望之儼然」同義語:厳然

 この字書(『角川新字源』に記載の意味と、
吉川博士の解説(解釈)との間に、異論を挟む必要はなさそう。

でも、この字書には、「四悪」は記載されていても、
「五美」の語句とその意味は記載されいないし、

「五美」の中の「二美」の語句と意味は記載されているが、
残りの「三美」についてはその語句も見当たらない。残念!

後ろ髪を引かれる思いで、
冒頭の続きを。

 友人のAさんが、「終盤乱調となった要因は
全て本人のゴルフスキル全般の未熟さ」だと、
おっしゃる

賢明なAさんは、「スキルの問題」だと、
一言で、幕引きを図るつもりかな? と私は感じた。

で、Aさんは、「マインド」と「フィジカル」の問題を
どこに、置き忘れたのかな? と、私は考えた。

その理由(根拠)の1つは、それぞれ以下の通り。

・「コースに出ると我欲が優先し」と、おっしゃるし、
過去には、「(加齢で)最近、飛距離が10ydほど落ちた」
と、Aさんはおっしゃる。

そこで、Aさんは、その飛距離不足を金で補おうと考えた。

そして後期高齢者の域に達したAさんは、
その選択肢を採用した。

これは「生涯ゴルフの楽しみを決して諦めない!」 という
Aさんの心・気持ちの現れかな? と考えた私は、
頭が下がる思い。

 でも、フィジカル面は?
と、考えてみれば、Aさんは毎日、素振りを欠かさないという
ご立派さ、見上げた習慣の持ち主にて、これもクリア。

ところが、「コースに出ると我欲が優先し」とおっしゃるし、
「左崖下注意」の一言で、「ボールが何故か、崖下に転がる」
と、Aさんはおっしゃるマインドの持ち主。

で、私は明日のラウンドの心がけの1つとして、
「欲而不ほっしてむさぼらず」という孔子の言葉を
送ったのであったが…。

賢明なAさんは、この言葉をどのように
解釈されたのであろうか?

「また、あの『論語読みの論語知らず』が、余計な一言を!」
と、読み飛ばして臨んだ翌日(のラウンド)は、以下の通り。

前回に引き続きグリーン上での集中力不足か?
100Y以内のアプローチがシャンク気味に右へ出ることが
数回有り「どうして~」とメンタル落ちたのが遠因かも?

と、Aさんはおっしゃる。

 あれっ?
このらぶれた~(メール)からは、
スキルとマインドの問題が!?

Aさんからのらぶれた~(メール)には、
「欲」の文字は、一言も記されてないが…。

シャンクの問題は「大事(慎重)に」行き過ぎた(当てに行った)
結果であろうし、「グリーン上での集中力不足」は、
「入れたい」欲が顔を覗かせたのかな?

それとも、人の良いAさんは、
同伴者を思いやり、わざと外した?

だとすれば、それは、「欲而不ほっしてむさぼらず」に
名を借りた偽善者の振る舞いであるが…、と私は思った次第。

 では、あなたにお伺いします。

あなたは、何に対して、貪欲になります?

2023年10月14日 (土)

帰心(きしん)

12111901  画像は秋田の友人からの
プレゼントです。

 さて、登場人物は、以下の二人。

一言多くて、物議を醸しているという噂の
プロ野球監督Oさん。

そのO監督と、師弟関係にある解説者の
Fさん(元投手)との対談の一部を私はTVで見た。

その対談の中で、F解説者が、O監督の人心掌握術(接し方)を
尋ねた(と、私は記憶しているが)。

その質問に応えるO監督の、
以下のような言葉に、私は興味を覚えた。

「親子以上に、年の離れた若い選手が
何をどのように考えているのか?
それは、コミュニケーションというか、グランドで一緒に練習、
指導しながら、会話を交わしてみて、初めて、何を考えているのか? 
どのような考えをもっているのか?
 
ちゃんと接したら、接し方さえ間違わんかったら、
素直に、みんなそういう行動を起こせると思うし、
その感性を若い選手は物凄く持ってると思うよ。」といい、
「コミュニケーションの大切さを説いていた」と私は感じた。

それ故に、選手は、O監督に「帰心きしん」、すなわち「なつき従い」、
念願の「あれ」を手中に収めた、と私は解釈したが…。

 ちなみに、F解説者は、
今年のプロ野球が始まる前に、次のようなことを。

「H監督とO監督は、トップダウン型の、古い考え方の持ち主だから、
若い選手がそれをどのように受け入れるのか、興味がある」。

そんな類のレッテルを貼った発言をしていたように、
私は記憶しているが…。

 翻って、私も、現役時代は指示命令型であったし、
部下もそれを望んでいた(と思う)。

ところが、ある日、部下と個室で、2人きりで、
じっくり話し合ってみたところ、
最後(別れ際)に、彼が次のようなことを。

「全部、話してみて良かったです。
以前、Nさん(筆者名)の一言で、私は傷つき、嫌な人、
近寄り難い人と思っていましたが、じっくり話してみて、

Nさんは良い人、親切な人だと、分かりました。
ありがとうございました」と。

 「話せばわかる!」とは、時の宰相、
犬養毅の最後の言葉であるが、

ちゃんと接したら、接し方を間違わなければ、
部下は「帰心きしん」、すなわち「なつき従い」、
素直に、目的・目標を達成するための行動を起こす!

と、今年のプロ野球、セリーグの優勝監督(の発言)から、
私は学んだ次第。

 では、あなたにお伺いします。

どのような接し方をすれば、部下は「帰心きしん」、
すなわち「心を帰服させる」と、あなたはお考えです?

2023年10月 8日 (日)

「帰心(きしん)」解説ページ

1308124_20231008134601  画像は秋田の友人からの
プレゼントです。

 さて、30年近くも
昔の話。

Aさんが、私に次のようなことを。

「社長とアンタがキャッチボールしながら、
うちの決算書をつくるんやから、わしはええんよ。」と、
言いながら、暗に、不満の矛先を私に向ける。

で、私は以下のように答える。

「えっ?
わしが、〇〇(子会社名)の決算書を!?

わしは〇〇(子会社名)の決算書を見たことがないんで、
何がどうなっとるのか知らんし、
それに、〇〇(子会社名)の決算書は、
社長とB子(経理の担当者)が、作りよるんやろ?」と応えた。

すると、Aさんは!
という話の続きは、後段にて。

 先ずは、『論語(吉川幸次郎 中国古典選5 朝日文庫)の中から
抽出した「堯曰ぎょうえつ第二十 第1章」の第5段をご覧に。

 最初に、読み下し文を。

権量けんりょうを謹つつしみ、
法度ほうどを審つまびらかにし、
すたれたる官かんを修おさむれば、
四方しほうの政まつりごとおこなわる。
ほろびたる国くにを興おこし、
えたる世を継ぎ、
逸民いつみんを挙ぐれば、
天下てんかの民たみこころを帰す。
たみに重おもんずる所ところは、食しょく、喪そう、祭さい
かんなれば則すなわち衆しゅうを得
しんなれば則すなわち民たみにんず。
びんなれば則すなわち功こうり。
こうなれば則すなわち説よろこぶ。

 次に、現代訳を。   

はかりとますめを念入りに正して統一する、
法律や制度を明らかにして、
廃止した役所を整え正して復興すれば、
四方の国々の政治は正しく行われる。
滅亡した国くにを復興し、
子孫が絶えて、あとつぎのない家を継承・復興し、
世を逃れ隠れている人を挙用すれば、
天下の人々は、警戒心を持たずに近づき従う。
重視するのは、人民の食、喪、祭である。
寛容であれば、多くの人々の心を得
まことがあれば、人民は委任する。
機敏であれば、功績が大きい。
私心がなければ、喜ばれる。

 続いて、吉川博士の解説を。

・以上を、皇侃、邢昺、劉宝楠の説により、第五段とする。
かれらの説によれば、堯舜の「二帝」、
夏殷周の三王朝を創業した
「三王」が、共通して行った政治の
要諦だというのである。

ただし新注は、前半を前につづけ、周の武王の事蹟とする。
「尚書」の偽「武成」篇に、「絶世を継ぎ、逸民を挙げた」事実が
あるからである。

その点、朱子の偽「古文尚書」に対する態度は、
不徹底であった。

そうして最後の「寛則得衆」等の四句、
これを諸聖王に共通のもので
あるかも知れぬ、とする。

・「権」ははかり、「量」はますめ。まずそれを謹厳に統一する。
過去の中国では、政府の収入は大きな権量、
支出は小さな権量によることがあったが、そうあってはならぬ。

・「法度」は法律規制の意であろう。それに念を入れる。

・また必要な役所で廃止されたものを修正復興する。
そうすれば、四方に対する政治が浸透する。

・「滅びた国を興し」とは、第一次大戦にポーランドが、
第二次大戦に
イスラエルが、列国の協力によって
復興したような事態をいう。

・「絶えたる世を継ぎ」、当然世襲さるべき家で
絶滅していたのを、
再び継承復興する。

・「逸民」とは、環境の不良のために社会から逸はじき出されて
いた個人、語は微子第十八にも見えた。それを抜擢する。
そうすれば、世界中の人間が、心を帰服させる。

・次の「所重民食喪祭」については、
古注、新注で読み方がちがう。

さきの訓読は、しばらく朱子により、
「民に重んずる所は、
しょく、喪そう、祭さい」としたが、

古注の孔安国は、「民」の字を下につけて、
重視する所のものは四つ、民、食、喪、祭、とする。

その理由として、「民を重んずるは国の本なれば也、
食を重んずるは
民の命なれば也。
喪を重んずるは哀を尽くす所以ゆえん也。
祭を重んずるは
国の敬を致す所以ゆえん也」。

ここでも「論語」の孔安国注と、偽「古文尚書」の本文
及びその孔安国伝との
間には、分裂があるのであって、
偽「古文尚書」「武成」篇の本文は、
「重民五教、惟食喪祭」であり、朱子の説をみちびくのに
都合がよい。

・そのあと、諸注とも二帝三王共通のこととする四句、
寛は寛容、信は誠実、任は信頼委任、敏は細心、功は業績、
公は公平、
説は喜悦であるが、通行本と、日本の写本本との
間には、甚だ異同がある。

日本の本は「信則民任焉」の全句がなく、
最後の「公則説」の「説」の上に
「民」の字があるものが、
往往である。

中国の本も、最も古いテキストである「漢石経」の断片には、
「信則民任焉」に一句がない。

<以下割愛>

 吉川博士は以下のようにおっしゃる。

・「権」ははかり、「量」はますめ。
・「法度」は法律規制の意
・「絶えたる世」=当然世襲さるべき家で絶滅していた(家)
・「逸民」とは、社会から逸はじき出されていた個人。
・「心を帰す」=心を帰服(つき従え)させる

じゃあ、
角川新字源』にはどのように?
と思い、検索してみた結果は以下の通り。

【権量】けんりょう はかりと、ます。

【法度】ほうど ①のり。規則。法律や制度。
〔書・大禹簿謨〕「罔法度

【絶世】ぜっせい ①子孫が絶えて、あとつぎのない家。
〔論・堯曰〕

【逸民】いつみん 世をのがれてかくれている人。
隠逸。〔論・微子〕。同義語:佚民いつみん。軼民いつみん

【帰心】きしん ②心を寄せる。なつき従う。
〔論・堯曰〕「天下之民帰心焉」

吉川博士の解説(解釈)と、この字書に記載の意味との間に、
「異同は無し!」と私は判断したものの、
この字書では、「廃官」と「滅国」、及び、その他の語句や
熟語・成句の類を確認することができなかった。

 さて、冒頭の続き。

私はAさんの問いに対して、「〇〇(子会社名)の決算書に
私は、関与していないよ.」と答えれば、Aさんは次のように。

「社長が『アンタに訊け。
アンタと相談して、どうするか決めよ』と
言うんやけど、何も聞いてない?」と尋ねる。

で、私は次のように。

「なんも。
わしは、何も聞いてないよ」と答えたのであるが…。 

Aさんは、私が「権量」、すなわち「秤はかり」と「升目ますめ」を
縦横無尽に操作して、子会社の業績を粉飾しているかのように言う。

その子会社の責任者は、Aさんであるにも拘らず、
私とオーナー社長が、Aさんの存在を無視して、
勝手に、数字を弄いじり回しているかのようにおっしゃる。

しかし、Aさんも私も、オーナー社長の指示に従っている
ただ、それだけの話であり、

「天下の民たみ心を帰す」ならぬ、
Aさんも私も、オーナー社長に「心を帰す」、

すなわち、オーナー社長に「帰心きしん」した
2人の従業員兼務役員がオーナー社長の指示に、
従順に従っているだけなのに…。

Aさんは、その従順さの程度の優劣?
否、善管注意義務を怠っている度合いの軽重を
非難していたのであろうか?

今は、黄泉の国に旅立ったAさんに尋ねる由も
伝手もない吾身ではあるが…。

 では、あなたにお伺いします。

あなたは、誰に「帰心きしん」、すなわち「心を帰服きふくさせる」、
つまり、「つき従って」いらしゃいます?

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