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2006年8月29日 (火)

「六十化す」解説ページ

五十九非を知る:五十九年間の間違いに気付いた

荘子: 『荘子』の著者すなわち荘子(子は尊称)は名を周(しゅう)。西暦前四世紀の人。孔子や孟子の常識的な思考と世俗的な価値とを哄笑する。『荘子』の中には、『論語』に見られるような篤実温厚な人生の知恵や、『孟子』に見られるようなひたむきな理想主義の教説はほとんど見られない。『論語』や『孟子』が、そのままで“倫理の教科書”となりうる性格を持つのに対して、『荘子』は必ずしも、そうではないのである 

則陽篇:則陽は人の名前。この篇は八つの説話とそれをつなぐ論述の文章から成る。篇首の説話の人名を取って篇に名付けたもの。「則陽遊於楚」(則陽、楚に遊ぶ)と始まる

寓言篇:寓言は篇首の二字を取って篇名としたもの。この篇は『荘子』全篇における基本的な文章表現の方法(寓言、重言、卮言の三種)を説明する全般の部分と、後半のそれらを具体的に例示する五つの問答形式とから成る。「寓言十九」(寓言すなわち他事に仮託して表現する方法で全体の九割ほどを占め)と始まる

3の人生:一般的には定年後の人生を「第2の人生」と表現しますが、小生の場合は田舎の高校を出て都会(大阪)で過ごした(仕事と学ぶこと、遊びを知った)12年間を「第一の人生」と考え、家庭、家族のために生きようと、Uターンして今日に至った(結果的には家庭と家族を犠牲にして仕事と読書、遊びに夢中になった)30年間を「第2の人生」と考え、慣れ親しんだ企業に別れを告げて、家族、家内に見放されることなく、自己の楽しみを追い続ける将来を「第3の人生」と考えています

淮南子:『淮南子』というのは、『論語』や『老子』あるいは『荘子』と比べて、恐らく一般に馴染みの薄い書名である。しかし原書は日本に古くから伝わっていた。書名をとくに「えなんじ」と読んで、地名の「わいなん」と区別するのは、古来の日本での読み癖である。雑家の書ということで、内容の雑駁多様なことが強調され、神話をはじめとするいろいろの伝承が珍重されて、その百科全書的な性格が人々を引き付けてきた。
『日本書紀』の始めの国生みの神話が『淮南子』の文章で修飾されていることなども有名であるが、禍福の変転に惑わされない「人間万事、塞翁が馬」の寓話なども『淮南子』が出典である。

論語:孔子およびその弟子たちの言行録であり、孔子を中心として行われた対話の記録であることを、おもな内容とする。また、「論語」二十篇の篇名のなづけ方は、大変無造作で、各篇の初めの章の中から、二字ないしは三字をつまみとって、一篇の名とするのである。各篇の内容は、複雑であり、多岐であり、寛容であり、主張的であるよりも、示唆的であるために、短い言葉にしばることが困難であり、やむを得ず、初めの二字ないしは三字を、無造作に篇名としたのではないかと思われる

蘧伯玉:名は瑗(えん)字は伯玉。衛(えい)の国の賢大夫。賢者であり、孔子の尊敬する先輩

恵子(けいし):名は施(し)。荘子の友人で論敵。論理学者

孔子:名は丘。字は仲尼(ちゅうじ)。釈迦、ソクラテスとともに「三大聖人」と言われ(三大聖人にキリストを加えて「四聖」という)、釈迦に遅れること十二ないし十五年後、すなわち紀元前552年~479年に中国山東省の陬(すう)に生まれる

六十にして六十化す:六十になっても、なおかつ六十になっただけの変化をする

CTP:「coach21」が運営するコーチ・トレーニング・プログラム。電話会議システム(ブ リッジ)を使って行われる

この句:「知非」(行年五十にして四十九年の非を知る)

子罕篇篇首の二字をとって「子、罕(まれ)に利と命と仁とを言う」から始まる

認定コーチ(財)生涯学習開発財団認定コーチ。日本で1998年から取得することができるようになったコーチの資格

陽貨篇篇首の二字をとって「陽貨、孔子を見んと欲す」と始まる。陽貨は陽虎とも言い人の名前

:『易』は『易経』ともいう。儒教の経書の一つである。「経」の字はもと織物の縦糸の意味。それからすじみち、道の意味になる。人の生きる道、天下国家を治める道、ひいては宇宙の奥にひそみ、宇宙を動かしている道、それを説きあかしたのが「経」である。それらは聖人の作成あるいは編纂にかかる神聖な書物であり、あらゆる心理の源泉とされた。『易』、『詩』、『書』、『礼』、『春秋』を『五経』とよび、漢代から清代に至る二千年(前2世紀~十九世紀)の間、キリスト教国におけるバイブルのような権威を保った。
また、『易』は占筮のテキストであり、処世の智慧に満ちていて、大宇宙と小宇宙を一貫する「道」を明らかにする哲学、中国の言葉で言う天人之学である

繋辞下傳:「繋辞傳」は易全体の概論。易を、単なる占いの書物にとどまらぬ高度の哲学にまで高めようとするもの、中国哲学史上でも重要な論文である。繋辞というのは、もと文王周公が卦爻の下に繋けた辞、すなわち卦辞爻辞を指すが、ここでは孔子が易経全体に繋けた辞という意味の固有名詞となっている。一名を「大伝」ともいう。上下に分ける理由について、一巻にするには長過ぎるから上下に分けたまでで、深い意味はない

:よろこび、たのしみの時。謙(地山謙)を反対にするとこの卦(雷地豫)になる。序卦伝に、謙遜であれば心豫(たの)しいから、謙卦のあとに豫卦が置かれる、という。豫は和らぎ楽しむ意味。民の心が和楽して支配者に服従することを説く卦である。この卦、九四だけが陽爻で、上下の陰爻がこれに従っている。故に九四は志を遂げて豫(たの)しむであろう。また、下卦の坤(地)は順である。上卦の震(雷)は動。順(すなお)に動くという意味でも豫(たの)しむの意味になる。故に豫と名づける。

学而篇:『論語』の開巻は、子曰、学而時習之、不亦説乎。「子(し)曰(い)わく、学(まな)びて時(とき)に之(こ)れを習(なら)う、亦(ま)た説(よろこ)ばしからず乎(や)」と、始まる。「学而」とは、この初めの章の第二句、学んで時に之を習う、学而時習之、の、二字をとって、篇名としている。

孫子:兵法書『孫子』の著者は、いうまでもなく孫子である。子(し)というのは有識の男子の敬称で「先生」というほどの意味であり、たとえば孔丘(こうきゅう)を孔子というようなものである。
ところで、やっかいなことに、孫子――つまり孫先生といわれる兵法の大家が、紀元前六世紀から四世紀にかけて二人いるのである、一人は孔子とほぼ同じ春秋時代の孫武(そんぶ)であり、もう一人は、それから百余年後、孟子と同じころの戦国時代に活躍していた孫臏(そんびん)である。しかも孫臏は孫武の子孫なのだ。
この二人の孫先生のどちらが兵法書『孫子』の著者であろうか?古来、それは先祖の孫武の方だといわれてきたのだが、最近の研究によると、どうも子孫の孫臏の方らしいということになっている。孫武の遺著を孫臏が補足したというのが妥当な見方ではないだろうか。

★参考(引用)資料

 『易』         (本田 済)    朝日新聞社

 『荘子 雑篇・上』 (福永光司)    朝日新聞社

 『荘子 内篇』   (福永光司)    朝日文庫

 『淮南子の思想』 (金谷 治)   講談社学術文庫

 『論語』       (吉川幸次郎) 朝日文庫

 『論語の活学』  (安岡正篤)   プレジデント

 『干支の活学』   (安岡正篤)   プレジデント社

 『孫子』      (村山 孚共訳) 経営思潮研究会

この解説ページの大半は上記の書籍より引用しました。特に「淮南子」の箇所は『淮南子の思想』(金谷 治著)講談社学術文庫の「学術文庫」版まえがきの冒頭から8行をそっくり、そのまま掲載しました

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